戯曲『蹂躙を蹂躙』2023年版(冒頭)
戯曲『蹂躙を蹂躙』2023年版
○登場人物、あるいは登場概念
無数の学(学のなかに幾人かの学がいる、それぞれの学の関係は学自身にも把握出来てない、学の中に実際に何人の学がいるのかについては、演出家と観客の想像に委ねられる)
学ではないもの(しかし学と対話は出来る)
秩序(わたしたちは従わなければならない)
○あらすじ
赤ん坊の頃から何者かに監禁された学は、分裂した人格、内と外の区別のつかない世界観、過去と現在と未来の混同、幻聴と実際の音を平等に認識するなどといった、破滅的な症状に苛まれながら大人になった。ある日、育ての親である「おいしゃさん」に抵抗、勢い余って殺めてしまった学は、家の外に生まれてはじめてたった一人で出てしまう。「おいしゃさん」といつも行っていた森で平常心を取り戻すためだ。しかし、一人で外の世界に耐えられる思考回路を全く持っていなかった学は、やがて、偶然遭遇した通行人を混乱しながらあやまって殺めてしまう。パニックを起こしながらその場を離れ、移動し続けるあいだに学は、これまでの人生を振り返る。
○本編
すべては学によって語られる。
出演者は常に何かに叩きつけられているために、定期的に悶絶する。
その何かは肉体的な意味でも、精神的な意味でも良い。
悶絶は時に、絶叫と悲鳴を齎すが、それらが声や表情として、正しく肉体に出力されるとは限らず(現実がそうであるように)、体内で反響した音のままであることもある。情報が外界に十全に出ることはない。
学 この空間から何を学べばいいのかということだけを、わたしに教えてくれればいいのに、それ以外に何も要らないのに、他に何も要らなかったのに、あなたは、その、白い、
学 声が届くはずもないのに叫ぶなってこと。無駄なことはするなってこと。昔から伝えてきたじゃない。
学 その白いもので、わたしたちを塗りつぶしてゆくのか、
学 みんな遠くにいってしまったら本気で喋ってはいけないと誰も教えてくれなかったから本気でずっと喋ってしまっていたので喋らないようにするのがひどく遅くなってしまったからぼくは悪くないのでひどい世界だとずっと主張しよう。ずっとずっと主張しよう。ひどい世界だから困っているのは生まれつきの条件。世界は親切じゃないと誰も教えてくれないから誰も変わらないと世界が朝に私に言う。毎朝言う。毎朝言うから、誓う。世界は親切じゃないからこうやって話さなければならないのに話したいことぜんぶ話すとみんな怒るのでぼくも怒らざるを得ないから困るとずっとずっと言っているのに聞いてよ! 聞いて聞いて! ずっとずっと言うので聞いて! あなたが聞くまでずっと言う。
学 ふざけてはいません! 金輪際ふざけてはいませんよ! 金輪際ですよ! この意味が伝わっていますか? 金・輪・際ですよ!
学 適切な加減? とは。適切な? 適切なことなんてないんで。ないんですよ。この世界にはないんですよ。残念ながらないんですよ。なんかずっと喋って歩いていたら病院いきだよとおいしゃさんがしきりに言ってくるので病院にいくのをずいぶんまえからやめました。わたしは。道でも家でも駅でもなんか言ってくるのはいっつも人だからさ。人々だからさ。触っちゃだめ触っちゃだめ。だめだめ。喋らない植物はきれいでよい。おいしゃさんが変です。わたしが変なのは生まれつきなの、おいしゃさんが変なのは生まれつきじゃないの。って不平等な教えだなあ! 喋ることは病気じゃないし風邪でもないのですから喋り続けていいのですよ。わたしもあなたも全くもって普通であるのですよ。風邪でも病院に行くのは嫌だけど風邪じゃないのに行くのはもっと嫌だとわめいていたらおいしゃさんいつも泣いていたからいつも殴って黙らせるしかなくって。普通にそうするしかなくって。いつも準備されたものを頭から浴びせなければなりませんでした。わたしの変わらず一貫した方針です。文句はわたし以外に言え。無言でいたらまた怒られたから殴ったのです。またまた。またまたまた。適切な加減と何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も叫ぶのだ。耳元で。叫べ! 適切な加減? 叫ぶ? 適切な加減! って叫べよ! これは命令です。何だろうと思うと適切な加減で言っていけよ特におまえは。おまえだよ! 適切な加減って何だろうってみんなに聞いて回ったらまたみんな怒るからこちらも怒るのでみんなを殴るわけなんでね。怒らなければいけないのは何故なんだろうね。怒らなきゃ。怒らなきゃ。殴らなきゃ。っていう強迫観念の三段論法の強迫観念には今も逆らえない状態です。なので殴ります。こちらもいい加減思いっきり怒ってやってそして泣いてやった。殴りながら泣いた器用さを誰か全力で褒めてくれてればよかったのになあ! えーん。わかんないよー。殴る。わかんないからもう、殴る。ふっきれたよー。殴る。わーいわーい。殴る。おいしゃさんを倒してやったのだった。殴る。素手で倒したのだった。殴って起き上がって殴って起き上がって殴って起き上がらなかったから笑うしかない! ここぞとばかりに殴る。殴る殴る。殴る殴る殴る。チャンスは世界に無数にある。遂に倒したのだ。殴る。遂に倒れたのですぐに喜んだのは義務感によるものですね。わーいわーい。血が出ているのに血が出ているとは思わず、うっかりなめたら苦かったので血はなめるものじゃないと悟った世界で。顔に塗る適切なものがすなわち血である世界で。顔に塗ってあなたと同じになるための赤で。血はあなたの中にも外にも流れているし、わたしにも流れていて、世界にも流れているので。
学 世界に出てくんじゃねえよその顔で。その体で。目に毒なんだよなあ。目が腐るよ。黒目と白目が平等に溶けてねっとりとした灰色になるよ。おい、こっちをみろよ。なあ。君の眼球がいいね。君の眼球の形が特にいいね。いいよいいよ。その眼球でみつめてよ。無駄にきょろきょろさせて見つめてよ。甘ったるい視線でこっちをみつめてよ。接近! いいなあいいなあ。全員こっちに来いよ。接近! 全員こっちに接近して来いよってばああああ。全員こっちに接近して来て手を握って呪文を唱えればいいだろってばあああ。嫌いな奴の名前を一人ずつ唱える儀式で一人ずつ丹念に呪っていけばいいだろってばあああ。あ! 殺そう。想像の中で殺そう。殺そうと夢が告げるので従えばいいだろう。いたぶろう。なぶろう。そうであろう。そうでなければ本当に殺してしまうであろう。想像じゃないところで殺してしまうことになると夢が告げるであろう。世界から与えられるものは今も昔も何もないのであろう。
学 わめくな耳がもげる。わめくな! わめくな! わめくな! 耳耳耳耳をそぐ命令命令命令がうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!
学 幻聴じゃないよと絶えず話しかけてくる紛れもない幻聴をどうすればいいのかっていう話
(つづく)