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48.改めまして自己紹介


noteを書き始めてから、彩ねを知ってくださった方もいらっしゃると想うので、改めまして自己紹介をします。

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埼玉県生まれ、埼玉県育ち。
幼少期は内向的で、人と話すことがとても苦手でした。

小1のときに父が急死。その後から学校内行事の司会などを頼まれるようになり、人前で言葉を伝える機会が増えました。それでも抑圧の強い環境で育ったため、普段の言葉数は少なかったけれど、ピアノの発表会のときに歌を歌う楽しみを知り、歌うことで声を発する楽しさを覚えていきました。

中学校はコーラス部所属。
20代になってプロボーカリストを目指すようになるものの、度重なるオーディションのプレッシャーから歌うことの楽しさを忘れてしまったことにより、20代後半になって歌うことができなくなりました。

28歳のとき、契約社員で働いていた会社をクビになり、鬱を発症。
精神科に行ってみるものの、薬を使う心理ケアに疑問を感じすぐにやめました。

精神科の帰りに寄った本屋さんで、自身もメンタルを崩したことを機に心のケアを学び、エッセイストとしても活躍している方の書籍を読み『わたしの経験から誰かの力になれる人になりたい』という想いから、詩を綴るホームページを開設。
その後、自らの詩に自分で描いた絵を添えたくて、パソコンに入っている無料ソフトで絵を描き始めたことがきっかけで絵を描くように。

絵を描いていると、心の変化により描くものも変わってくる。その理由を知りたくて、心やスピリチュアルの世界の探求を始めるものの、改善しないことも多々ありました。

45歳の誕生日に子宮体がん告知を受け、毎年の誕生日に自分がここまで生きてこられたことに「ありがとう」と言えるような生き方をしたい!と望みました。

そして、告知から手術までの不安な時期に龍神からのメッセージを受け取りました。

それは「わたしたちの命は地球に生まれてくるとき、龍に大切に抱きしめられて降りてきた」というもの。

そのときの龍神の言葉も、受け取ったエネルギーも、とても温かく優しくて、そのエネルギーを伝えたい一心で『命を抱く龍』アートを描き始めました。

こちらが『命を抱く龍』の中の一枚

術後の生活は体力が落ちていたため、動ける範囲がとても少なくなり、じっとしている時間に、これまでフタをしてきた感情が溢れ出すことがあったため、感情ケアについて学びました。

それでもなかなか体感に落とし込むことができずにいましたが、ネドじゅんさんを知り「わたしたちの細胞はどんなときも生きる喜びを歌い上げている」という言葉に感動したことをきっかけに、右脳回帰のワークを始めます。

『身体と繋がる』『細胞と繋がる』を意識しているうちに、身体の中にいる細胞の声を感じるように。わたしたちの内側に「生かそう」としてくれている存在がいるんだなぁ〜と感じるようになり、今現在はその感動を絵にすることで「生かされている体感」が伝播していきますように…と祈りを籠めて絵にしています。


【アートオーダーを受け付けています】

⭐︎あなたの命の美しさを絵にします⭐︎

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彩ね(あやね)
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