33.『退屈』の奥にあるものを感じていたら
愛しい皆さま。こんばんは。
少し前にただ横になって『退屈』を感じていたときのこと・・・無力感のような、無価値観のような、なんとも言葉にしきれない感情が湧き上がってきました。それを感じているうちに、もう20年近く前に亡くなった父方の祖父のことを想い出したんです。
父方の祖父は末期の肺がんで入院して、わたしがお見舞いに行ったときには、もう自分で喋ることはできませんでした。声は微かに出るけれど、うんと耳を近づけて聞かないと聞こえない。わたしにはひと言「好きに生きなさい」と伝えていると、叔母が教えてくれました。そしてその夜、病室の窓から飛び降りました。
『退屈』の中で感じる無力感や無価値観、ただ寝てるしかなかった祖父は、こんな感情を感じていたんだろうか?
もちろん飛び降りた理由は祖父にしかわからず、そこで生命を終えたということは、今世の地球でのお役目を終えたということ。でもなんか、体はあって、命はあって、それでも声もほとんど出なくて、食事もほとんどできなくて、寝てるしかない時間を何日も過ごしていたら『無力感・無価値観に負ける』ということもあるのかもしれないなぁ〜という想いが溢れてきて「仕方なかったんだね」みたいな祖父への赦しのような氣持ちが湧き上がってきて、涙が溢れてきました。
きっと「仕方なかったんだね」は、無意識にあの日、無力感を抱えたわたしへの赦しの言葉でもあったのかもしれない。
『退屈』を感じるというのも、意識的にしてみないとスルーしがちだけれど、そこから得られるものはある。それは目には観えないものではあるけれど、置き去りにしてきた自分をひとつ取り戻すという尊い時間。そのとき溢れてくる涙は、とても温かい。
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