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62.壮大なシナリオの中で生きている
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愛しいあなたへ。こんばんは。
前回の記事を書いたあと、惨めさを感じるって果たして悪いものなのだろうか?という想いにもなりました。
わたしはずっと、日本のために戦った人たちが「惨め扱い」されていたことに疑問も憤りも感じていました。なぜ同じ日本人が、自国のために戦ってくれた人たちを蔑んだりしたのだろうか?あまりにも酷い仕打ちではないかと。
ただそのあとに、ふと浮かんだことがありました。
もし、その人たちがものすごい賞賛されていたとしたら?
もしかしたら、戦争に対して肯定的な人たちが育っていったかもしれない。
もちろん、それだってあくまで妄想の域を出ないのだけれど、でもその世界線が0(ゼロ)ではない可能性はあるよな・・・と感じたとき、惨めさを感じるということもとても大切なことのように感じました。
そしたら、なんか宇宙の流れってすごいんだなぁ〜って感じたんです。
わたしは本格的にやっているわけではないですが、大自然の法則というのに『相対の法則』というのがあります。これは『朝と夜、女性と男性、善と悪、表と裏、暑いと寒いetc・・・』という相対に存在するもののこと。片側が消えるともう片側も消えてしまうので、どちらも存在しないことになってしまいます。
これは感情も同じなんです。
不安を否定すると、安心も感じられなくなる。悲しみを否定すると、喜びも感じられなくなる。不幸を感じていることを否定すると、幸福も感じられなくなる。
だから『誇り』を感じるのには、相対の『惨めさ』を感じることも必要なんじゃないかなぁと。
惨めさを感じるって、正直氣分の良いものではないけれど、真の誇りを感じたかったら、惨めさを感じる経験って必要だったのかもしれない。
わたしは今、わたし自身も含め、日本人が本来の誇りを取り戻す時期にきているなぁと感じているけれど、それすらも宇宙の壮大なシナリオとして用意されていたものかもしれない。そう考えると、ものすごく大きなものの中に生かされているような感じもしています。
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