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59.いろいろと氣負っていた時期


2021年8月はセラピーの練習ばかりをしていました。講座を卒業したあとに当時のセラピスト仲間とのやりとりの中で、お互いにセラピーをして経験を積むというもの。

このときに、わたしのセラピーにはある傾向があることに氣づきました。

それは、相手がまったく無意識に封じ込んでいたものを、わたしもまた無意識に開けてしまうというもの。

あまりに繰り返しこのことが起こるので驚きましたが、想い返せば、わたし自身が父の死への感情を長年ふたしてきたことで、悲しみや寂しさを反芻することを繰り返してきていました。まるでその頃の自分を救うかのようにやっていたのかもしれない・・・とも今になって感じます。

そして、泣けなかった人が泣けるようになることが、当時のわたしにとってはなによりも歓びでした。

家族のことを人に開示できなかった人が、沢山涙を流したあと、SNSで亡くなった家族のことを書けるようになったのを見たとき、あぁ・・・ひとつ何かを超えたんだなぁ〜と嬉しくなった記憶もあります。

その反面「嘘がつけなくて怖い」という反応を貰うこともあり、躊躇うことも・・・。

当時は「どうしても一回で開きたい」というエゴのようなものもあったんでしょうね。自分のように長く苦しんで欲しくない・・・と。

これは未熟だったなぁ〜とも想うけれど、それでもそのときの精一杯をやっていたんだなぁと感じます。

家にいる時間が多いわたしにとっては、オンラインで仲間と練習する時間も貴重だったし、できるだけセラピストとして早く独り立ちできるようになりたいという想いが、とても強かった時期でもありました。

「わたしはこれで食べていかないといけないんだ!」と随分氣負っていました。この氣負いが空回りになってしまっていたんですけれど・・・。


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