私の百冊 #07 『眺めのいい部屋』フォースター

『眺めのいい部屋』E.M. Forster https://www.amazon.co.jp/dp/4480036768/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_GQbPFbM374J5D @amazonJPより

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まったくタイプの異なる二人の青年と、ひとりの愛らしい良家の娘。若者はひたむきに彼女を求め、娘は魅惑され、反発し、翻弄され、葛藤する。そんな、画に描いたようなシンプルな恋愛小説である。

【映画】

先に映画の話をしたい。娘のルーシーを演じたのは、当時二十歳だった、あのヘレナ・ボナム=カーターである。たぶんデビューしたての頃だろうけれど、いやもう本当に愛らしく、小説のイメージぴったりなのだ。僕らはその後、特に『ハリー・ポッター』での彼女を見てしまっているもので、ちょっと思いがけないくらいである。

しかし、僕がお薦めしたいのは、ルーシーをめぐる二人の青年のほうだ。特に、インテリで気取ったところのあるセシル役が、実に素晴らしい。こちらもあの名優、ダニエル・デイ=ルイスだったりする。プライドの高さがつい邪魔をしてしまう、しかし純真な若者――中でも、ルーシーとのぎこちないキスシーン。うっかり眼鏡をルーシーの顔にぶつけてしまい、おどおどと慌て眼鏡を直す場面などは、思わずくすりとしてしまう名演である。

原作小説(あるいは漫画など)と、映像作品(むろん音声付き)の、どちらに先に触れるべきか?というテーマは、今でも、繰り返し喧しく議論されるものだが、本作に関する限り、どちらでもいい。まったく問題ない。もしもあなたが、第一次世界大戦によって地上から消えてしまった古き良き時代の英国を描いた作品に馴染みが薄いということであれば、映画を先に観るほうがいいかもしれない。(実を言えば、僕がそうでした。)

【小説】

全二十章から構成され、前半の七章がフィレンツェ、後半の十二章がイギリス、そして最後の一章でふたたびフィレンツェに戻る。しかし、あまりくどくどしく物語の内容に触れたくない。ここには、十六章~十九章のタイトルを並べたいと思う。物語がどのように終結するのか、大いに想像を膨らませて頂けると嬉しい。(事前知識として、以下を記しておく。娘の名はルーシー・ホニーチャーチ、二人の青年の名はジョージ・エマソンとセシル・ヴァイス、ルーシーにはフレディという名の弟がいる)

「十六章 ジョージに嘘をつく」

「十七章 セシルに嘘をつく」

「十八章 ビーブ氏、ホニーチャーチ夫人、フレディ、そして使用人たちに嘘をつく」

「十九章 老エマソン氏に嘘をつく」

そして最後の二十章のタイトルが「中世の終わり」というのだから、このタイトルを眺めるだけで――「…に嘘をつく」「…に嘘をつく」「…に嘘をつく」「…に嘘をつく」――もちろん「嘘をつく」のはルーシーの口である――僕なんかは眩暈がしてくるくらいだ。

【翻訳】

最後に、翻訳について。

僕は英文学を専攻したわけでもなく、英語圏に留学経験があるわけでもないのだけれど、この本はペーパーバックで読むことができた。それくらい、フォースターの英語はわかりやすい。"A Room with a View" が原題。「部屋」も「眺望」も不定冠詞だ。「眺めのいい部屋」と訳したのは実にうまい。どこにでもある、ちょっと眺めのいい部屋から始まり、そこで終わる物語なのである。

冒頭のAmazonのリンクは「ちくま文庫」だが、僕はみすず書房の著作集で読んだ。訳者が違う。「ちくま文庫」は未読なので比較はできない。ちょっとAmazonを眺めてみたところ、あそこのレヴューにはよく見受けられることだが、いずれの翻訳に対してもずいぶん酷いことが書かれている。しかし、クンデラ(チェコ語)、マルケス(スペイン語)、プルースト(フランス語)、ドストエフスキー(ロシア語)をすべて原文で読める人間など極めて稀であり、実際的には存在しないと言ってしまっていい。

だから、翻訳でいいのである。我が国に翻訳小説が溢れていることを、素直に寿ぎたい。翻訳小説を読むのは愉しい。母国語の小説とは、光や音や匂いの具合が違う。登場人物たちが、僕らには思いがけない言動に出たりする。つまり、ちょっとワクワクする。(綾透)

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