見出し画像

ぼくは変わり者?LGBTQ?進路過程での困難や悩みの複雑な気持ちに直面

ハ〜イ👋
おはよう!こんにちは!こんばんは!

どの時間帯にどんな人が何がきっかけでぼくのnoteを見に来てくれたのかはわからない。
だからまずは定番のご挨拶を3つ用意してみた
まずは見てくれてありがとう🙂

さて、なんで始めたかのキッカケを書こうと思ったけどまずは軽く自己紹介だ。
ぼくは今年で27になるアラサーで、
現在はいろいろあってニートをしている
元は6年間料理人をしていた

元々小さな頃からモノづくりがだいすきだった。
また、好きになるものといえば、
お花、お絵描き、人形、折り紙…。
っと幼少期の男の子がすきなウルト◯マン、
仮◯ライダーにはもっぱら目がいかず自分には無縁だとも思っていた。
当時、朝の時間にやっていたプリキュ◯や
ワ◯ピースと言ったアニメの方が大好きだった。

可愛いものには目がなかったし、
いつも女の子のキャラクターばかり好きだった。
今だから言えるけど当時はからかわれたりもしたからあんま公には言えなかったね。
(友達曰くまったく隠せてなかったみたい😅)
言ったらイジメられるし怖かった。
小さいながらも自分は“かわいい”が好きということを言ってしまったらなぜかだけど「危ない」し「いけないこと」だと思いそういう警戒心のようなセンサーが働いていた。
他の男の子と違うことにも気づいていたから言えなかったね
自分は【変わり者】なんだと思っていた😐
実際小学生の時にひどいイジメにもあってる。
友達は女子が多いし一緒にいてとても楽😌
話も合うしなにより楽しかった。
男子が怖いという概念がそこで芽生えてしまい避けていたのもあると思う。
イジメられてもなお側を離れず仲良くしてくれてた友達には感謝してるし今ではなんでも話せる親友だ。

そんなぼくはある日、母とお菓子作りをした
初めて作ったのは確か“マドレーヌ”だ
アレは本当においしかった。
ホットケー◯ミックスで作るのだが、
もう出来たマドレーヌが愛おしくてたまらない🥰
こどものぼくはうれしいあまりにお菓子づくりという沼にどっぷりとハマっていた。
何かを作っては家族や友達に食べさせ反応や美味しいという言葉をもらうことに快感を小さいながらにも覚えていた。
そこからというもののお菓子づくりや料理に興味や探究心が芽生え気づけば火がつき加速していった。
とことんやりたいこと作りたいものは片っ端からやった気がする💭
お小遣いを貯めてはいつも作ってたね。

もう一つはモデルやテレビ関係だ
それも普通のモデルではなく、パリのコレクションのランウェイを歩くいわゆる“パリコレモデル”
当時何かの企画で芸人の青◯さやかさんが
パリコレを目指す?みたいなテレビをやってたのだが、そこでランウェイをあるくパリコレモデルに心が踊った。
“ぜったい自分も歩く!”
そう強く確信したし、表現する姿にときめいた
初恋に近い感覚かもしれない💓
とりあえずテレビには出たかった。
元々タレントみたいな仕事に就きたい、就いてみたいとも思っていた。
なんせ話すのが好きで自分で言うのもアレだけど口が他の人より長(た)けてると思う
人を笑わせるのもすきだからね😉
当時の小学生の中では憧れの天才◯レビくん
ばくはずーっと出てみたかったんだ。
だけど、今よりSNSも発達してないからどうすればなれるなんてよくわからなかった…🥺
母に気持ちを言ってもいつも流されて終わってたし無理なのかなぁと思いながら内心悲しかった。
人前に出ることが好きで自分を表現するのが好きなぼくにとっては疼くものが心のどこかにいつもあった。

そうして時は流れ、

年齢を重ねると同時にいろいろと悩む事になる。
とりあえず進学校に行っておけばいいという精神で後先のことは考えず猛勉強して模試でのD・E判定とされていた高校に入学することができた
アレは“奇跡”だったと今でも思うね。
そしてさらに3年後…。
ついに問題となる難関が押し寄せてきた。
そう。それは“進路”という名の恐怖
就職する子もいれば、多くは大学進学で、残りは専門学校という感じ

ぼくはどうすればいいかわからなかった。【悩み】

今までは敷かれた線路の上をみんなとたのしく電車にずっと一緒に乗ってる感覚ですごしていた。
だから、急遽その電車から降りてこれからは自ら線路を敷き、道を作り、自分で歩んで行きなさい
そう言われてる気がするし、実際に現実はそうだった。

やりたいことは山ほどある
ケーキ屋、洋食屋、モデル、教師…
言い出したらキリがないかもしれない。
とりあえずセンター試験の勉強を開始した
何が必須科目かすらわかっていない(・・;)
なんせ将来について深く考えたことなんてなかったから。
気持ちはとても【複雑】だった。
大学に行って何かをしたいとかも特にない
だから勉強はしたけど途中で自分には必要ないようにも感じた。
担任の先生とも相談を繰り返し自分の気持ちが強い方に動いた。
それは“お菓子や料理の道”
センター試験の願書〆切1週間前の土壇場進路変更だった。

クラスのみんなは黙々と勉強している。
なぜか自分だけが正しい道を進んでいない気がして辛かった。
なんだか悪い気がして勉強をし始めるや否や仲の良い男の子に、
「おまえは専門で、しかも内定も出て決まってんのに、なんで大学いかねーのに勉強してんだよ」
そうキツく言われた時とても辛かった。
実は男子を高校生まで極力ほんと仲の良い人以外は避けてきて暮らしてきてた。
高校生になって部活が同じ子にひどいイジメを2年間うけ続けたある日、張っていた糸が突然切れたかのように耐えきれず同じ中学から一緒に進学した仲の良い男友達にイジメられて辛いことを告白したら生徒指導の先生のところまで「言いにいくぞ!」っとついてきてくれたのだ。
2年間耐えに耐え続けたイジメ。
イジメられてるなんて親には口が裂けても言えなかったし平然を装っては居ないところで泣いていた。
やっと高校三年生になってのクラス替えは当たりと言わんばかりの最高のメンツ揃いで、
どのクラスも羨ましがってたしぼくはずーっと一緒になってみたかった人たちばかり、(カースト上位系運動部はっちゃけおもしろ男子たち)
ぼくのことを面白がってくれるひとがたくさんいてうれしかったし、良い男友達と巡り会えて同じ性の人たちといる時間や空間にこんなにも居心地が良いとはじめて感じていたのに、
“受験という名の悪魔”に邪魔され、
仲の良い男の子からは遠回しにぼくの勉強する姿が目障りと言ってることも態度や表情、口調からしてわかった。
40人クラスで男は10人くらいしかいないから噂なんてすぐ広まる。
次の日からぼくはクラスの男子の中で浮くようになった。
みんな受験だからピリピリしてるし試験日が刻々と一日一日迫るにつれて表情や態度も余裕がないのが伝わる。
仲のいい女友達も志望校に入る為に必死なのを知っていたから気安く話もできない。
なんだか自分だけが取り残された気持ちでいっぱいだった。

どうしよう誰にも相談できない😖

毎日毎日張り裂けそうな思いだった。
せっかくうれしかった新しい高校最後のクラスは最悪の空間化とし毎日地獄に行ってるのかと思うほど息がくるしい場所になってしまっていた。

自分はなんなんだろう、なにしたいんだろ🥲

ひたすら自問自答をしては悩みに悩んだ。
結局みんな大学が決まったりして自然とピリピリムードは消えて行き、
「あの時はごめん、おまえは受験しなくていいし気楽そうで…羨ましかったのもあったり頭にきてつい…」
っと謝ってきたのだ。
打ち解けれてまた受験勉強前の仲には戻れたけど心の傷はすぐには癒えなかった。❤️‍🩹

交友関係も自分で言ってはなんだが、広い方。
卒業間近になり付き合い出す人も増える中
好きな人もいなかったし付き合いたいとも思わなかった。
ぼく自身(女の子、男の子)自分が好きになった方を好きになればイイといというスタンスだったからこーゆー自分と同じ考えの人?(Bの人?)は周りにもいなかったしセクシャリティーも謎というか考え込んでしまって中々言えなかったからまぁ複雑な気持ちが高校生の時はいっぱい押し寄せた。

近年は、SNSが普及して多くの人を見かける
きっとたくさんのことに悩む😕機会も増えてると思う。
同じ境遇のひとは自分だけじゃないしきっと仕事も環境も見合った場所が必ずあると思う
だから、みんながみんなそうじゃないけど自分を大切にしてくれるひとやその気持ちをもっと大切にしながらたのしく生きていきたい
時には休憩も必要。
働き続けてきたから今はじぶんと向き合う時間にあててる。
無理は禁物。
期限は大切。
こうやって書きながら自分の気持ちを整理して🧹✨正解にしていこうと思う。


ここまで見てくれた方ありがとうございます
ずいぶんと長くなっちゃいました💦
もしよければ“いいね”と“ふぉろー”よろしくお願いします😀

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?