見出し画像

亡くなった母の死因

 ある年の3月11日に生まれた母は、ある年の3月17日に身罷った。

 死因とタイトルにも入れているのでお読みくださる方は死に纏わる話だとわかってお読みくださっているものとして書き進めたいと思います。 

 母は幼少期に継母により食べさせてもらえない過酷な時期を数年過ごしており、それは数年で解決されたのだが、母の心に深い疵を残していた。
 そんな母は我が子は絶対に飢えさせないとかたい決意をしており、三食におやつまでいつも潤沢に用意されていた。
 幼少期は痩せっぽっちだった娘を太らせようと躍起になっていて、あれ?
ママは私が食べると嬉しいの?それに気づいた娘は食べることが好きになりふくよかな人生を邁進している。
 食べさせたい、だけど、娘のスタイルも気になると真逆の悩みに逡巡して巷のダイエット方法に飛びついては母娘で失敗を繰り返していた。

 母の病から離れるが、ダイエットは絶対に我慢をしてはならない。
 若い内は我慢して、痩せられることもあるが…。
 身体の理性と違う部分、本能の部分がダイエットで食を制限されると、
身体の新陳代謝を落として省エネ運転に切り替えてしまう。
 身体にとっては大変だーーーーッ栄養が供給されない、ない中で遣り繰りせねばとなっているのだ低燃費になるのももっともだ。
 こうなると同じものを食べても太るようになる。
 必死に食べるのを我慢して、目標体重になります。
 やったーと普通の生活に戻すと、元の体重どころか、低燃費仕様になっているから、もっと太ってしまうのである。これでまたダイエットを繰り返すと身体はより低燃費化され、リバウンドしまくりです。
 結果は最初にダイエットを始めた時よりも、太って不健康な身体になってしまう訳です。
 身体に不調がなければ、運動を取り入れたダイエットが効率が良いと思うが…今の生活を全く変えずにダイエットするのは、今食べてるものを一切我慢せず、同じように食べていいが、2割だけ残すようにする。
 8割は食べているのだから、我慢はしてません。
 ダイエット始める前よりも、良く噛むようにすると、唾液が出て、頭に食べたよ、お腹いっぱいだよという指令を出す信号がでます。
 そうしている内に食べたいものの思考が変われば、それはそれでありですが、基本は無理せず、我慢しないこの方法が穏やかに減量できます。
 これは普段たべてるものが比較的普通な場合で…三食食べずにスナック菓子と甘い炭酸飲料が原因なら、それは食べ物から切り替えないとですね。

 閑話休題、話がちょい横滑りしました…(笑)
 
 その時も母がダイエットしようと言い、いつもなら一緒に痩せないのに、
母だけが痩せて、私は痩せずにいた。
 振り返るとその時が病魔の始まりであった。
 母は痩せたいとダイエットして、痩せたので喜んでいた。
 元来、若い時に膵炎を患っていて身体が弱かった母親は、様々な努力の結果、元気になれたと思って喜んでいた。
 左の肩甲骨の天使の羽のような動かすと影になる下のほうが痛いと言い、押してくれ、揉んでくれとよく頼まれていたが、五十肩だろうと言っていた。
 手が震えるようになっていたが、それも加齢によるものだと言っていた。
 結婚前は看護師をしていたのに、病院が嫌いで、ほとんど病院に行こうとしなかった。
 何度か、私が母に病院に行こうと言い、一度は病院に連れ出せたが、運の悪いことに休診で診て貰えなかった。

 そんなこんなのある日、目にした病院がとても薄暗く見えて、こんな病院に入ったら助からないなと頭に浮かんだ。なぜ、浮かんだのか、その瞬間はわからなかった。この位置にある病院に我が家の家族が搬送される筈がない位置にある病院だったからだ。       

 前日も会社に行き、仕事をして、その仕事はミスがなく、普通に過ごしていた母親が倒れたと弟から電話があった。
 病院の名前を聞いても、住所を聞いても、ピンと来ない。
 カーナビに案内された病院が見えた時に、愕然となった。
 自宅から離れた、だけど、その時は入れる病院が近くになくて、母はその病院に搬送されていた。
 愕然としたが、そんな予感を告げて騒いでも受け入れられる筈もない。
 意識を失って救急搬送されていたが、母の意識は戻っていた。
 会話も出来て、一安心、弱るだろうが、退院できるに違いないという一縷の希望も持っていた。

 重篤な脳の病気でも、心臓発作でもなく、病院嫌いで持病として判明してるものもない母の血液は検査センターに運ばれていた。
 翌日の昼まで意識のあった母が午後に意識を手離して、それから意識を取り戻すことはなかった。
 母が意識を根絶させた翌日の昼に主治医に呼び出された。
 こんな状態になるまで放置していた家族に対して怒り気味にまず母が甲状腺クリーゼを発症していること。
 甲状腺の病気はわかって治療して、クリーゼ状態にしなければ死に至ることはない病である。
 が、この甲状腺クリーゼという状態は、ずっと体内が暴走している状態となり、内臓の不全を引き起こして死に至らしめる状況となる。
 説明して治療するか、どうか確認された。
 今書いてることは後からの知識も補足しており、その場では、母が危険な状態であること、治療しますか、しませんか?
 したら助かる可能性はあるのですか?治療すれば治る可能性はありますと回答された。それを断る理由は1ミリもない。
 治療をお願いして、意識は戻らなかったが、クリーゼ状態は治りましたと医師から説明を受けられました。

 甲状腺の病気は検査項目を指定すれば、血液検査ですぐに結果がでます。
が、健康診断などの検査にその項目は入っていません。
 母は自己判断で病院に行きたがりませんでしたが…。
 こんなことがあるのだと驚き、友人知人に話すと、罹ったことがある、今そうだと言う人の多いこと。
 命に関わる病ではないので、なんか言いにくいところがあるようです。
 恐らく私も軽度の内に母が病院でわかって、薬で治ったら話さなかったと思います。

 親族に傾向があれば注意するのですが。
 そうでないと、わかりにくさの例として友人の話が記憶に残っています。友人は喘息を持っていて毎月、主治医に通っていて、別の勤め先の検査で、レントゲンとる時に、検査技師の方が、会社の健康診断に項目がないけど、その首は甲状腺の心配があるから別に検査してねと言われ、検査したらビンゴで、喘息で出ている数値でいつから罹っていたか遡ったら、3年喘息の先生は見逃していたくらいだからと話されました。

 そういう話を総合すると、難しい面もあったのだと思いますが…。
 救急車で運ばれたその時点で院内で血液検査をして、クリーゼと判明していたら母の命はまだ残されていたのではという懸念が時々頭に浮かびます。
 知っていれば助かった命かもと思うと、以前は機会があると話していたのですが、いつの間にか話さなくなっていたなと思い出してnoteに書いています。

 母はクリーゼになる前は甲状腺亢進症で、甲状腺が全身に働けと指令するので、身体はずっとマラソンしている状態、心臓肥大、手の震え、寝ていても休まらないから痩せる、そんな状態なので頭は倒れる寸前まで明晰という状態だと説明されました。
 母は自身は軽い糖尿状態だと思っていて、それと真逆の状態なので、糖尿と思ってしている養生は悪化を招いておりました。
 当時読んだ文献では、初期糖尿から、なぜか甲状腺の病気に移行する人がいて、その時は、糖尿の状態は悪化せず、甲状腺の方が進行するそうです。
 母の病気を知りたくて、本屋さんで買った本の一冊にありました。
 最新の医学ではどう変わっているかはわかりません。

いいなと思ったら応援しよう!