数年前の証明問題
「海外進学入学基準に到達するようにしてください」
初期の頃の最大のミッションだった。
1期生〜3期生担当していた時代(7年〜5年前)は、インターネットが安定しておらず、個々が持つIphoneの容量も少ないことによりスマホに不自由さを感じる時代だった。リスニングするにはCDプレイヤーを使っていたし、Youtubeはじめとする通信が必要な動画の再生は時折止まってしまう時代だった。
ITから情報を得にくかった数年前は、今よりずっと海外進学に必要なTOEFLの敷居が高かった気がする。TOEFLで点数を取ることが高校生にとってはとても難しそうに見えた。だからTOEFLへの期待値や海外大学入学することへの期待が今以上に高かった気がする。海外受験=TOEFLですよね?といった認識が今よりもずっと強かったかもしれない。
その中でもなんとなく、ちがうよな。と思っていた。
確かに英語スコアは入学するために突破しなければならないものだが、大学生になるためのすべてはTOEFLに詰まっていると考えることにどうも納得がいかなかった。
だからカリキュラムをこっそり変えた。
表向きは「TOEFLを取ろうよ」=「海外大学入学できるようにしようよ」
だったけれど、必要以上の授業に来てもらって違うことを教えるようになった。
今の社会の構造から逆算した時に18歳〜20歳が身につけた方が良いこと。
これからの20年先、30年先を支えてくれるだろう学びの器を作るカリキュラム。
だってTOEFLじゃ世界で戦えないもの。
もしTOEFLが世界で活躍できる人材の基礎能力を図る試験だとしたら
アメリカ人だってTOEFLを受けて大学に入るはずだもの。
日本の教育情報戦にはため息がでることがある。
本質から外れすぎている。
海外の大学に入学するためには、学校の成績とTOEFLが試験の柱です。学校の成績は自分で頑張ってもらって、あとはTOEFL専門の授業で英語力上げましょう。
世界をリードする大学は本当にそういう人間を研究に引き入れ育てたいと思うのか。入試がゴールじゃないんじゃないか。この仮説はあっているだろうか。
あの時から数年が経ち、卒業生が立派になって帰ってきた。今ちょっとしたタイミングが重なり卒業生が一緒に働いてくれている。
デルクイのオフィス。優秀になったなと思う。毎日大変なことがあるから
優秀さよりも未熟さを感じることが多い年頃だとは思うけれど
すごく優秀になってハワイから、バークレーから、カリフォルニアから、ミズーリから帰ってきた。
数年がかりの証明問題。
育った生徒が証明の答えだ。
一昔の最大のミッションは、今や「最大」ではなくなった。
日本の高校生はグローバル化に伴い何を学ぶべきなのか。
数年前に立てた仮説のQ.E.Dが近い。
付録:
成長スピードにはそれぞれ違いがある。とある年、とある生徒へ一緒に勉強できるのは1年弱なので日本から飛び立ったあとのことも考えて点数第一主義から離れていろんな勉強をすることを促した。素直に実践していたと思う。結果として、彼は自分で立てたTOEFL目標点数に届かなかった。
ある時、東大の横を歩きながら、今は大きくて到達できない、身近に感じようとも感じられない存在かもしれないけど、きっと数年後にはちがう未来が見えているかもね。なんて話をしていたときが懐かしい思い出だ。
その生徒は今どうなったか。
陳腐な言い方になってしまうけれども
東京大学に肩を並べる有名な大学に編入し卒業した。
今年受講の8期生はラッキーだ。今年は特別講師として会えるだろうから。
これからのデルクイ生にも引き続き、人生を歩むにあたり大切なことも一緒にこの学び舎で学んでほしい。