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【連載号外】豪雨災害の被害と復興状況 2024年7月25日〜9月17日 - 山形県酒田市八幡地域 大沢地区

2024年7月25日からの豪雨により被害に遭われた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。本来であればこの連載では、東京での社会人1年目に、ひと夏のコーラの飲み過ぎにより1型糖尿病になって入院した話からつづる予定でしたが、予定を変更して、今回の豪雨災害について書きたいと思います。

山形県内、様々な市町村で甚大な被害が発生してしまった今回の豪雨災害。酒田市八幡地域では、私が住んでいる大沢地区、そして観音寺地区、一條地区、日向地区と全ての地区で多くの被害がありました。私は25日の朝から一條小学校での仕事があったため、豪雨が強まっていた時間帯は一條地区におりました。その後、大沢地区に戻ろうとしたところ、荒瀬川が氾濫し、八幡保育園の前で国道344号線が通行止めになっており戻れない状況。北平田地区の実家に避難することにしました。翌26日、国道は依然通行止めになっており、観音寺地区・常禅寺集落より先の大沢地区へは行けない状況でしたが、日向地区から1本だけ大沢地区に通じる道路が残っているという情報を得て、大沢に入ることができました。

そこで目にしたのは、美しい大沢の自然豊かな風景が、めちゃくちゃに破壊されてしまった、異世界のような光景。荒瀬川の流域に約10km弱に渡って集落が点在する大沢地区ですが、その広範囲に渡って、田んぼや家屋の敷地には泥や流木が堆積し、川の両側はえぐり取られて、道路や橋に数多くの崩落が見られ、山崩れも多発。筆舌に尽くしがたい、想像を絶する凄惨な景色が広がっていました。ドローンやスマホで動画を撮影し、その日のうちに阿部彩人(COCOSATO)YouTubeチャンネルで公開。まだ、報道各社の皆さんが大沢地区に行く手段が無かったため、その時点で大沢での被害の映像は全く世に出ていませんでしたが、とにかくこの状況を多くの人に知っていただきたいという思いで、その日から動画や写真を通じた情報発信を続けました。

大沢地区の自宅や会社事務所として使用している家は、川よりも比較的高い位置にあったため、家屋への被害はありませんでしたが、国道からの橋が車両で通行できない状態で、電気・水道などのライフラインも完全に絶たれてしまっていました。その後、国道344号線は石田が7月30日に開通(その際に、復旧作業に従事していた中学校の陸上部長距離の同期と卒業以来初めて再会)、中台〜青沢は農道を利用した仮設道路が7月31日に、国道は8月9日に開通。電気は8月1日までに大沢地区内の全地域で復旧し、水道は8月12日時点で半数以上の集落で復旧してきている状況です。

特に家屋への被害が大きい吉野沢、道路上や家の周りに土砂が1メートル以上堆積してしまった北青沢の小屋渕周辺には、そのまま住むことを諦めて引っ越すことを検討せざるを得ない家が多くあります。まだ避難所や親戚・知人宅で生活されている方もいらっしゃいます。

ライフラインは復旧したとしても、田んぼの圃場だけでなく多くの水路もめちゃめちゃになってしまった農地の復活には、最低でも4、5年はかかるという話もあります。大沢地区全体としての甚大なダメージを考えると、復旧のさらに先にある「復興」まで見越して立ち上がっていかなければなりません。

吉野沢で被災された、大沢コミュニティ振興会の会長・後藤正一さんは、家の外は地面から3メートルほどまで水が上がり、自宅の中は床上30cm以上が泥水に浸かり、蔵やトラクター、軽トラックは流されました。自らも外で首まで水に浸かって「死ぬかと思った」ものの、九死に一生を得たとのこと。その正一さんが仰っていたのは、「こういう時だからこそ、一層、協力体制を強くして、これこそ大沢だ、ということを示していがねばね」という言葉。他の住民の方からも、「負げでらんね」とか、「何とが皆で協力して、頑張って生ぎでいぐしかね」という言葉が多く聞かれました。

豪雨災害以降、大沢地区の住民の皆さんの言葉から感じるのは、起きてしまったものはしょうがないという、いい意味での諦めと、前に向かって進んでいがねばね、という強い信念。そして、ご近所や地区内の方々と声をかけて助け合ったり、若い世代の大沢出身者を中心としたLINEグループや、自治会、コミュニティ振興会のLINEグループが立ち上がるなど、連絡を密に取り合う体制が急激に生まれています。

あの災害より過去、元の状態には戻れません。でも、前に向かって進んでいくことはできます。家を諦めざるを得ない人たちも、それぞれの人生を前に進めるために、一歩一歩、歩んでいます。豪雨災害以降、自衛隊の皆さんや、驚異的なスピードで進んできた災害復旧のために従事されている皆さん、各コミセンの皆さん、行政や各団体の職員の皆さん、報道各社の皆さん、議員の皆さん、全国各地から支援物資や支援金をいただいたり、ボランティアや視察のために訪れてくださった皆さんなど、たくさんの人の心や力が結集していることに、感謝しかございません。本当にありがとうございます。大変、もっけです。

豪雨から間もなく2ヶ月。めちゃくちゃに破壊されてしまった、私が住んでいる酒田市八幡地域・大沢地区の景色は、復旧作業による変化と、手つかずの不変の狭間で今を更新し続けています。被害が大きい家屋の周りの流木や土砂などの撤去は進んでいるものの、家屋の中に堆積した泥や土砂、国道から山へ続く数多くの道路や橋に続く道路が大規模に崩落している状況や、田んぼや畑に折り重なった流木や泥は、そのままの状態。

私は、災害発生当初は酒田市北平田地区の実家に避難しながら大沢地区に入っておりましたが、電気と水道が復旧してからは大沢地区で暮らしながら、復旧・復興に向けた情報発信や支援活動を行っております。

8月9日の早朝には、大沢住民の有志メンバー8人で、大沢コミセンから見える山の急斜面に描かれた大沢「大」文字の、お盆前の草刈りに行ってきました。大沢「大」文字は、大沢コミュニティセンター(旧・大沢小学校)の向かいにある山の急斜面の土地を所有する後藤重喜さんが2004年に、当時あった大沢小の児童たちに「大」きく育って欲しいという願いと激励の意味を込めて、ご家族にも誰にも言わずに一人で草刈りをして描いたのが始まり。2012年に重喜さんは亡くなってしまいますが、それからは大沢住民の遠田君雄さんが草刈りを実施していました。2019年8月に君雄さんが逝去し、現在は、君雄さんの息子・遠田裕己さんや、大沢の有志住民が遺志を引き継いで、年3回草刈りをしています。2018年からは、この「大」文字が夜でも見えるように、季節限定でLEDの充電式ソーラーライトによるライト点灯を実施しています。

大沢コミュニティ振興会を中心とするスタッフ・役員は、豪雨発生直後の8月3日に「大」文字の草刈りを実施しようと準備しておりましたが、住民の方からは「こんな被害状況で、そんなことをしている場合じゃない」「それよりも、家の片付けを手伝って欲しい」などのご意見もあり、一度は延期しました。しかし、「大」文字は大沢地区住民の心のよりどころでもあります。大沢地区・吉野沢の自宅が床上浸水や蔵が流されるなどの大きな被害に逢い、自らも首まで濁流に浸かりながら九死に一生を得た後藤正一会長が、このタイミングだからこそ実施するべきだと決断し、8月9日に草刈りを実施しました。

2024年8月9日、大沢「大」文字の草刈りを実施した大沢住民の有志メンバー8人。
2024年8月9日、草刈りを実施した後の大沢「大」文字。

ライト設置の実施についても様々なご意見がありましたが、豪雨発生以前の7月から、7色に光るLEDライトの「大」文字の色配置デザインを一般公募し集まった全59作品を対象とした投票を実施していたことと、八幡地域の八幡小学校、一條小学校の児童たちからも、大沢地区のために何か力になりたい、という声が上がったこともあり、後藤正一会長が実施することを決断。9月12日に八幡小の6年生と4年生、一條小の6年生の合計39人と先生方、大沢住民で一緒に山に登り、ライトを設置することになりました。

2024年9月12日、大沢「大」文字の山にて、ライト設置。
2024年9月12日、大沢「大」文字の山にて、八幡小、一條小の児童たちがライト設置を進める。
2024年9月12日夜、大沢コミセンにて、点灯した大沢「大」文字の7色のライトを見に来た、北青沢で被災された遠田恵美子さん。
2024年9月12日夜、綺麗に点灯した大沢「大」文字の7色のライト。

その日の夜から「大」文字のライトが自動点灯し、大沢地区・北青沢で家屋が大きな被害を受け、引っ越しされた遠田恵美子さんも点灯の様子を見に来られて、「最高、綺麗だの〜。すごぐ、元気もらいました。」と喜んでくださいました。地元の小学生や住民の皆様など、様々な方が大沢コミセンのグラウンドから綺麗に見える「大」文字のライトを楽しんでいただいております。10月上旬ごろまで毎晩、自動点灯する予定です。

報道関係者の皆様も7社ほど一緒に山に登ってご取材・報道いただき、ありがとうございました。

この「大」文字には、復興に向けたシンボルとしても今後は見守っていただきながら、大沢の皆さんが生きていく姿、この大沢地区がもう一度立ち上がっていく様を、皆さんにお見せしていきたいと思います。

8月29日には、豪雨発生直後から連絡を取り合ってきた八幡地域在住や出身者の20代、日向地区在住の本多農園・本多郁也さんと、大沢地区・古升田出身の東北芸術工科大学4年・川俣椋嵩さんと一緒に、八幡地域の復旧・復興に向けて未来を作っていく活動を行う「酒田やわた未来会議」(仮称)という団体を立ち上げました。

土砂や流木の流入によりコンバインが入れなくなった田んぼで手刈りでの稲刈りを行う被災農地ボランティアの受け入れや、被災地での炊き出しなど、まずは復旧・復興に向けた支援活動を行います。また今後は、若い世代の力を結集して八幡地域の未来について話し合う「やわた未来会議」を開催しながら、これからの八幡地域をより良くするためのアイディアを形にしていく活動を続けていきます。活動のための支援金も受付中ですので、「酒田やわた未来会議」Webサイトをご覧ください。

酒田市災害ボランティアセンターにボランティア依頼があった酒田市内の家屋で、未対応・継続対応中の合計は、9月17日時点でまだ80軒ほどあります。被害の大きい家屋の片付けや泥出しのために、まだ少なくとも2,000人以上はお力が必要な状況。雪が降ってくるまでのあと2ヶ月が勝負です。引き続き、「酒田市 災害ボランティアセンター」Webサイトより、ボランティア参加のご協力や、情報拡散、呼びかけの方も、よろしくお願いいたします。

未曾有の大災害は、大きな試練でありますが、多くの人の力が集まって一つになる大きな機会でもあります。これまで数千年に渡りこの地域を作ってくださり、数多の災害を乗り越えてきたご先祖様や先人たちへの感謝とともに、100年後、1000年後の酒田市民にとってこの災害が大きな礎となるよう、今この時代を生きる私たちが協力しながら、一歩一歩、進んでいきましょう。元には戻れませんが、前に向かって進んでいくことはできます。少しずつ、少しずつ。変わらない景色も、変わっていく未来を信じて。

私は、山形も、庄内も、酒田も、八幡地域も、大沢も、大好きです。
これからもここで、精一杯、生きていきます。

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