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息を切らしながら玄関のドアを勢いよく閉める。郵便物がなにか入っていたみたいだったけど、今すぐじゃなくていいやって、放っておいた。

リュックサックを投げ捨て、腕をまくって、遅刻ギリギリで着席する生徒のような勢いで、サッと椅子を引いてドスッと腰を下ろした。緑色のダッカールで、少し伸びてきて鬱陶しい前髪を、頭のてっぺんで留めた。
鉛筆、鉛筆…。消しゴム、練り消しゴム…。しばらく触っていなかったから、どこにやったか分からなくなっていたが、何とか見つけ出すことが出来た。机の奥からガチャガチャと音を立てて出てきた彼らは、待ってたよと言わんばかりの輝きを放っているように感じた。適当にカッターで鉛筆を削り、雑紙で芯の先端の太さを整える。
久しぶりのケント紙の感覚はとても懐かしくて、いい匂いがして、でも筆圧の加減の感覚を取り戻すのに少し時間がかかってしまった。それでも、あの感覚を、本が好きだという感覚を絵に落とし込むことに集中して、無機質な線を消しては新しい線を書き込んだ。前の線と今の線は違う。今ならわかる。
今まで、自分の気持ちを絵に込めることなんて、一度もなかった。目の前のものを正確に、見たものを全くズレのないように完璧に描くことが、上手な絵、素晴らしい絵だと思ってた。でもきっと違うんだ。気持ちを落とし込むことが、本当に心打たれる絵なのかもしれない。それは体験したものでもいいし、想像の中の世界でも構わない。見た目以上のもの、見えない何かを落とし込むことが、絵に奥深さを与えて、感動を与えてくれるんだ。きっとそうだ。

今まで心にかかってた雲が、一気に晴れた。光のカーテンが、心を包んだ。柔らかい光に導かれるように、鉛筆は色んな線を描いた。指は柔らかく線をぼかした。消しゴムは絵に明るさを与えた。
私は、無機質だった絵を、画用紙の片っ端から、描き直した。あの日の光景を思い出しながら、そして、今私が持ってる、「本が好き」っていう気持ちを芯の先に載せて、全部描いた。

私の中で今まで点々と存在していたものが、今、ひとつに繋がった。全て線となって、なめらかに繋がった。

絵を全て描き終わった頃には、23時を回っていた。すごい長い時間、絵に向き合っていた。初めてこの絵を描いた時も、長時間画用紙に張り付いてたっけ。でも、今日はあの時とは違った。全部の線に、鉛筆の動きに、納得がいった。筆に迷いがなかった。そして、前よりもっと細かいところまで筆を入れて、陰影一つ一つにもこだわった。
自分が求めていたのは、これだった。やっと出来た。私の絵。これは、私にしか描けない絵だ。
とてつもない達成感という言葉が勿体無いくらいの、充実感と達成感と満足感が、私を優しく包んでくれた。黒と薄黄色の小さな世界が、私には全部色があるように見える。今にも動き出しそうな桜の花びら、めくりそうなページと指、春風になびきそうな髪の毛。そして、本が好き、という気持ち。描きたかった絵が目の前にある。自分の描いた絵なのに、私はしばらく目を離すことが出来なかった。

幸せな気持ちのまま眠りについて、翌朝。今日はラッキーなことに土曜日だ。前に絵を描いた時は、次の日見たら、何か違うと思っていたけど、今朝再び自分の絵を見てみると、前みたいな気持ちに襲われることがなかった。後から見ても納得出来る絵を、ようやく描けたんだと、口角がゆるっと上がってしまった。
この絵に、少し色をつけたいな。モノトーンは勿体ないな。
ちょっとだけ欲が芽生えた。
この春のやわらかさを色で表現するには…。
私は再び机の中を漁った。探し物はすぐに見つかった。24色のパステル。パステルは、ぼかせばすごく柔らかい色になるし、重ね塗りも柔らかいし、ぼかさなければ、チョークのような、軽くて鮮やかな色を残してくれる。高校の時は、パステルのやわらかさが嫌で、2回しか使ったことがなかったけれど、今は、このやわらかさこそが必要だと感じた。ビビッときた。

パジャマの袖をまくって、ダッカールで前髪を留めて、ティッシュとパステルを手に取った。濃い色を出したい所にパステルでサッと色をつけて、丸めたティッュで色を広げていく。黒以外の色を使って、陰影をつけていく。モノトーンの絵が、段々と色付いていく。柔らかく、春の日差しが、差し込んでくる。

色をつけ終わるのに、そう時間はかからなかった。案外簡単に色つけが終わった。絵全体を見て、色味の微調整をして、本当に、私の絵が完成した。あの光景とあの雰囲気が、やっと表現出来た。今すぐに絵を抱きしめたくなった。クシャッと、抱きしめたくなった。でもこの絵が折れるのは勿体なさすぎるから、思い切り抱きしめるのは心の中だけに留めておいた。


そういえば。昨日掲示板で見た、絵画コンクール…。高校の時何度も挑戦してきたけれど、また、挑戦してみようかな。この絵で、挑戦してみようかな。そんな気持ちになった。賞に入らなくてもいい。純粋に、挑戦してみたくなった。自分の絵を、他の人に見て欲しくなった。そして、私の絵をもっと上達させるために、何が必要なのか知りたかった。

私は画用紙ケースに、さっき仕上げた絵を大事にしまって、顔をサッと洗って、外に出るのに恥ずかしくない程度の服に着替えて、ブラシで髪を軽くとかして、大学へ向かった。

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