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東日本大震災11年を迎えて

今日で、東日本大震災から11年になりました。毎年、震災前や当日はすごくソワソワして、緊張していましたが、今年は少し穏やかな気持ちで過ごすことが出来ました。少しづつ、じしつをうけいれられているのでしょう。

今日の始まりはお墓参りでした。毎年チューリップやかすみ草などの可愛いお花をお供えしています。やっぱり特別だから、少し変わった可愛いお花を。少しでも心安らかに眠って、そして見守ってくれたらいいなぁと思っています。
そして復興記念公園に行きました。ずっとすごしてきた地区の中に建てられたのに、一度も行ったことがなかったので、モニュメントとかも気になってたので行きました。今日は震災の日だからか、人が沢山いて、お花をモニュメントのそばに置く人も見られました。真っ白な大きなモニュメントは、私たちはここから立ち上がる、絶対にこの日を忘れないと言っているかのようでした。モニュメントの近くには亡くなった方々のお名前が記されていて、そこに友達の名前を見つけて、少し悲しい気持ちになり、本当に津波は命を奪ったんだなぁと実感しました。

14:46。黙祷のサイレンが鳴り響く時刻は、山に登っていました。いつもは家で手を合わせるのですが、今日は山に登って、街と海を見渡せるところから手を合わせました。11回も聞いているけれど、毎年毎年、違うように聞こえます。今年は短かったように感じました。震災前の時間より、震災後の方が長くなってしまった私。まだまだ前を向けないところはあるけれど、みんなの命を無駄にせず、この目で復興の歩みを見届けていく。そう決意した1分間でした。


今日は晴れていて暖かかった。海も穏やかだった。あの日を全く感じさせない天候でした。もうすっかり春と言っているかのよう。
あの日は、雪が降っていて、とても寒くて、まだ冬の季節が居座っているかのようでした。黒い大津波は街を瓦礫の山にし、赤い炎がさらに街を壊していきました。夜の空も真っ赤で、星が見えなかったことは、今でも覚えています。
そんな町も、今では家が建ち、道路は整備され、店が並び、車も行き来しています。11年でこれだけ変わりました。でも、まだまだ空き地があったり、整備途中の土地があったりして、前のようではありません。きっと、また街が元に戻るには、さらに10年とかかかるのかなと、感じています。

私たちは、東日本大震災を忘れてはならない。伝えていかなければならない。津波は人の命と街を簡単に奪い去ってしまうことを言い続けなければならない。
今後の災害で、1人でも多くの方の命を守るために。東日本大震災のような悲劇を繰り返さないために。私たちは、みんなにこの日を知ってもらわなければならない。そう思っています。

この11年間、様々なことがあったと思います。変わったことも、変わらないことも沢山あると思います。それを含めて、この日だけでも、東日本大震災があったこと、津波が街を襲ったこと、人が沢山亡くなったことを、話していきたいと思います。それも復興のひとつだと感じています。

私たちは生きる。そして守る。自分の命をいかなる時も守り、そしてみんなで生きていく。

この事実は、色あせてはならない。

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