ROMANCE DAWN for the newn era 〜 新しい時代への冒険の夜明け〜
僕がインターネットでやりたいことは Empower Doers ( Doする人 行動者) らしい。
会社のビジョンというより、昔から変わらない個人のテーマ的なもの。
らしい、というのも自分の事でも言語化するのは難しく逃げ道を残してる。
起業家は、何がやりたいのか、どう世界を変えたいのか、と問われ続ける。それがなければ、何かをはじめてはいけないように感じてしまう。
投資家や一緒に働く人は、それが気になるし、想いに共感できる人とやりたいだろう。だけど、正直、今どう世界を変えたいの、ストレートに聞かれるとぶっちゃけ凄い困ってしまう。
この2年ほど、公に何をしているか語る機会がなかった。色々と整理して、これがやりたいことなんだ!ドーンと、と分かりやすく綺麗な図とカッコいいキャッチコピーと一緒に自信満々に公開しようと思っていたが、千年の夜を重ねても無理そうだった笑
それでも自分ですら気づかないうちに動き出してしまっていたので、お知らせしないのも不都合が生じてきた。今の頭の中、生煮えではあるが、何も伝えないよりはいいだろうと想い、筆を執ることにした。
ビジョンを実現するためのプロダクトや事業の形は様々で、一見すると分かりにくいこともあるが、個人のテーマとしては Empower Doers 的なモノで、それなりに一貫しているつもりだ。先日、リリースさせていただいたfirebugも、ネットでの活動をエンパワーする装置を創ることだ。
かなり長くなったにもかかわらず、結局何が言いたいのか分からないキモいポエムになってしまったが、この空白の2年間のことや、これから何をしようとしているのか、それなりにさらけ出してみた。とても恥ずかしい。
〜ここからpoemがはじまるよ 〜
自分はインターネットが好きだ。
twi廃みたいな感じだし、裏垢もあるし中年男性だけどInstaliveとかもしてしまうし、NetflixとUberEats に人生を支えられてる。
リアルな産業も、どんどんインターネット的になっていくのを体感する。
Marc Andreessen がいってた、Software Is Eating The World だ。
コードがかければ、自分の手だけでプロダクトを生み出せるし、既存のサービスを組み合わせることでも、大きなインパクトを生み出せる。
インターネットがなければ、僕は起業家として成立しなかったタイプで、ネットにエンパワーメントされ、ネットに生かされた。
ネットから見る情報が生活の中心になり、tweetが人との繋がりを紡いでくれるインターネットの凄さを体感した。情報やコンテンツ、言葉が人の人生に大きく影響を与えることを知った。
2010年11月9日、taiga_ という謎のtwitterアカウントから
「君は何をしているんだい?一回、お茶しないか」というDMが届いた。
そのアカウントの正体は、松山太河さんという有名な投資家だったが、当時は投資家?という感じでよく分かっていなかったが、何か凄そうな感じがして会いにいった。
さらにそこからアンリさんにも出会い、スタートアップコミュニティへ足を踏み入れた。こうした出会いがなければ、僕はただの拗らせた意識の高い大学生を一生やっていたかもしれない。
出会ってすぐに起業するわけではなかったのだが、たまに声をかけてもらい色んな話を聞かせてもらった。
ネットエイジが復活し、日本でもシードアクセラレーターが盛り上がりだした時、アトコレという会社の創業に参画した。後にイシケンが会社の売却まで導くので、会社としては一つの成功といえなくない形になったわけだが、自分に関していうとフォーカスすると明確な失敗と挫折を経験した。
シューゾー、イシケン、カワイさん、この3人との創業は控えめにいっても最高に面白かったが、はじめの事業は立ち上がるまでに道筋が見えず、短い期間でチームは別々の道を行くことになったのだ。
その際に、昔からお世話になっていた太河さん、アンリさんに相談にいった。当時は今と違って何の実績もプロダクトもない起業家にお金が集まる時代ではなかった。ましてや一度失敗した起業家は相手にもされないと思ったが、お世話になった人に筋を通しておいでと、厳しくも優しいアドバイスをくださった。
そうして、ネットで出会った2人の師匠に数年後しに投資してもらった。
この資金がなければ僕は前に進むことができなかった。
一番はじめの資金を出しリスクを取ってくれる人の意味と有り難さを肌で感じた。
しかし、100%自己資本のオーナー企業の創業社長であった父は見知らぬ人から資金調達することに反対で、結構な暴言を吐き、大喧嘩になった。
それから数年、父と直接話すことはほぼなかった。騙されているんじゃないかと思っていたそうだが、赤の他人が、ただの大学生にいきなりお金を出してくれるなんて、そう思うのも無理はない。
その後、何度か失敗をしたがMERYというサービスを創り、26歳の秋、会社を売却した。一部上場企業のグループになり、人生初の上司というのができた。多くのことを教わった。その後、会社は急成長していっていたが運営に問題がありサービスを停止することになった。この辺りは多くのメディアが報じているところだ。多くの方々にご迷惑をおかけした。本当に申し訳ない。
2017年の3月12日、人生を捧げて自ら創業した会社を離れることになった。
正社員約120名、全従業員200名の仲間を残して。全社員の前で、みんなの前で話すのはこれが最後だと伝えたときもその実感がなかった。
はじめは、少し長期の休みなのかと思うほど、自分が会社を離れたことにリアリティーがなさすぎた。悲しみと寂しさ、最後まで責任を果たせなかったことへの不甲斐なさは、少し遅れてやってきたが、どうすることもできなかったし、どうする気も起きなかった。
起業してから、全ての時間をそれだけに捧げ続けてきたから、はじめて少し時間ができた。心配してくれた友人が色々と誘ってくれることもあったが、積極的には人に会う気も進まず、自分自身を見つめ直し、色々と振り返り内省する期間だった。何をして過ごしたか、何もしてなかったんじゃないかと思うくらいに少しも覚えていない。
自分がIT業界で何かビジネスをはじめるにも周りに迷惑がかかってしまうんじゃないか、という不安もあった。東京を捨て高知の限界集落に移住したりするのもいいかも、とぼんやり考えていたが、今までとそう変わらない感じで、多くのスタートアップの方が投資相談をくれた。求められるならスタートアップへの投資を再開しようと思い、人と少しずつ会うようになった。そんな中で、もっかいチャレンジしてほしいという言葉をもらうことが多くて、励まされた。
元々、ゼロから何かを創る人たちが好きで、自分が太河さんとアンリさんにしてもらったように、そういう人たちを応援したくてエンジェル投資をしていた。気付けば日本で約60社、クラシルやミラティブ、リップス、ツクルバ、など素晴らしい会社に出資させてもらった。
スタートアップへの投資は、経済的リターンというより、当事者として一緒に夢を追い、未来を創る冒険へ参加するチケットみたいなもんだ。
自分の時間と体に限りがある中で、やりたいことの全てを実現することは難しい、自分が全て得意なわけでもない、もっとデキる人がいる、そういう人を応援させてもらうことで、追体験することだ。
多くの尊敬する経営者と同じ船に乗る中で、自分が得意なこと、好きなこと、やりたいことも、心なしかぼんやりと見えてきて、また自分自身で新しいプロダクトを創りたくなっていた。
しかし、スタートアップな方に会うたびに
『シリアルアントレプレナーの次の挑戦』に期待してくれていることを感じ、しょぼいことはできないという気持ちもあった。
メルカリの進太郎さんは初回打席からホームラン、キムシンさんもシリアルプレーでGunosyを上場にまで導き、heyの佐藤さんは、いきなり会社を合併してしまうし、BANKの光本さんも光の速さで会社を70億で売却してしまうし、Xtechの西條さんは上場企業を買収していまうし、けんすうさんは脇目もふらず、ユーザーだけみて漫画業界変えようとしちゃうし、ハードル上がりすぎちゃうか、マジで、と思っていたし、
二度目の起業なら考えに考え抜いた上で、トレンド最先端な感じでAIとかブロックチェーンとか金融とか何かカッコいいプランをスマートに決めきり、自分の持ちうる全リソースを集中させ、巨大市場にシュパッと参入して、ドカーンと途方もない大型資金調達をして、僕を見くびっている奴らに自分の才能を見せつけて黙らたい、そんでもっとチヤホヤされたいと思っていたけど、いざ考えてみるとよくわからないし、自分にも向いてない、あんまりテンションも上がらないし、よく分からない、という重大な事実に気づいた。
自分は合理だけで、何でものめり込めるタイプの人間じゃなくて、何となくな感覚も大事で、直感で動き出すタイプでもあったりして左脳的なアプローチで、やりたいことが決めきれないでいた。
当然、一定の規模も目指したいが、自分がやりたいことはなんなんだろう、と。本当にやりたいことを探すのがややこしい。
もっというと、別にやってみたいことは山程あったが、それがお前が人生をかけてやりたいのか!とか言われると、んーんーとなってしまう。
ただ、どこに落ちてるかも分からない"本当にやりたいこと"を探す旅は終わりがないようにも感じたし、事業を通して見えてくる仮設検証や様々な発見と手触りがない中で何かで、今後の10年を捧げると決めきるのが怖かった。
失敗を恐いと思ったことは無かった。
事業を失敗して、影で失敗だと言われることも全然気にならない。
最も怖かったのは、中途半端にポテンヒットを打って、一塁に出てしまって、ホームに返ってくるまでにまた数年かかってくることだった。
事業の三振は、すぐにまた打席に立てるが、それでも何かをやめるまでにはかなりの時間が必要になる。とにかくそれが、一番怖かった。
スタートアップで、複数事業を展開することは、悪手とされるし、自分自身もそう思うが、ユニコーンになるようなモノを見つける手段として、一社や一事業というのにこだわらずに、まずはやりたいことを、新しいサービスや事業をどんどん雑に創っていくのもありかと、スタートアップスタジオというモデルを参考にすることにした。
多くの人に使われる、世の中に新しい価値を生むようなtoC向けのサービスをもう一度創りたいという想いは強かった。to C のプロダクトは、アートのような感覚的な部分もあり、センスのいる経営だ。制約と誓約が能力を高めるということを、以前クラピカから教わったことを思い出した。
プロダクトは、そう簡単に当たるものではなく失敗を恐れていては前に進めない、失敗はするもんだ、でも、一生プロダクトを創り続ける覚悟だ、と思っていたが、その思考こそがダメなんだと気付いた。
そこで心の中で、自分が無邪気にやりたい理想を追うようなC向けのプロダクトの挑戦は 3回打席に立つ、3回三振したら自分にはセンスがなかったと諦めて確実に立ち上がるような事業にしようと決めた。そう決めると、何か心が楽になった。
何をはじめるにも、まずは箱がないと始まらんと想い、会社を作った。
新しい価値を生む、新しいサービスを、新しいやり方で、生み出し続けたい。
新しいだけじゃなくて、世の中の当たり前になるような、残り続けるようなサービスを創りたくて、 new をひっくり返して wen をくっつけてみた
new + wen = newwen
そんな想いを込めて、にゅ〜ん、という社名にした。
株式会社newn だ。
前例に囚われないず、新しいことを、ということをどんな時も忘れないようにnew というワードを社名に刻んだ。
次に会社を作ることがあれば、絶対に社名とサービス名は絶対に一致させると前世で誓った。投資先にも社名とサービス名は同じにした方がいい、全てのコストが倍かかるし、非合理だ、と言い続けた奴が派手にやらかした。
だけど、この社名が気に入ってしまったんだから仕方がない。
電話越しの『にゅ〜〜〜ん』という人の顔を思い浮かべた時に、いい社名だと思った。 恥ずかしがらずに、にゅ〜んと発音してみてほしい。
CI は愛すべき相方に頼んだ。プロセスも公開してくれるみたいで楽しみだ。
パブリックに宣言して、始める方が仲間も情報も集めやすく、そうするべきだが、まだ方向性がどうなるか分からない部分も多すぎてステルスでまったりはじめることにした。
やりたいことを何でも、という中でも自分の中で満たしたいいくつかの要件があった。
- to C 向け
- 個をエンパワーするような仕組み / Empower Doers
- 時代の変化を捉えるもの
- ずっと続けられるもの 、無くならないもの
- 今までやったことないこと / new new things
- 海外、世界を目指せるようなモノ / Global Product
- 人を幸せにするもの
と、この辺りが、頭の中にボンヤリあったキーワードだった。
以前というサービスは日本では、それなりに使われたが、次は世界中で使われたりするようなモノがいいなーとは漠然と思っていた。せめてユニコーンを目指そうと思うと、グローバルを目指せるプランは必須だった。
そういうことを思っていると「D2C」「音声」「物流」「シェアリング」とか気になっていた。結論からいうと、今、音声サービスやD2C など、複数の事業に取り組んでいるが、このpostではD2Cから少し掘っていきたい。
D2Cというと、思想やビジネスプロセスやマーケティングチャネルの変化を捉えるチャネルハック、みたいな話はあれど、ビジネスモデルだけ切り取ると、基本はただのメーカーだ。いいモノを創り、お客様に届けていく、そこには何の魔法もなくて、普通に経営力の勝負だ。
ソーシャルメディアが情報流通の主流になり、マスが消えていき、個人がメディア化し、マイクロインフルエンサーが大量に生まれ、憧れも分散化し距離もずっと近くなった。そうしたSNS時代にトレンドの流れもより早くなり、趣味趣向も多様化して、モノとしての価値だけでないストーリーや共感が求められるヤヤコシイ時代になった。1つの巨大なブランドは作るのは難しくなった、という話だ。※
ビジネス的には小さいのを複数立ち上げるのは効率が悪く、あまり賢いやり方ではない気もするが、世の中のユーザーのニーズが多様化しているなら、そういったニッチなブランド創りを支える装置を創りたいと思った。
また、上の話とは逆説的だが、巨大ブランドを創ることは構造上難しくなったと思う一方で、D2Cというなの、普通のメーカーの経営をネット的にやるだけなので、後発でも一定の年月をかければ、ZARAやIKEA、LOREAL、ユニクロ、ニトリ、無印のようなサイズのD2C企業も出てくると思っている。
1000社生まれて、1社ユニコーンとかそういう世界観なのかもしれない。
メーカーは意外に海外売上比率が30%~50%をいく企業もあり、販路もネットに縛らず、リアルなところも視野に入れると、かなり巨大な市場だ。
新品のモノをただ買う、というレンタルになったり、行動が大きく変化する可能性はあるが、人が服を着なくなったり、化粧品がなくなったり、食べ物がなくなるということは、人が現実世界に生きているうちはなくならないだろうと思った。
また、何だかんだ日々の日常の中で、素敵な一枚板の机にテンションがぶち上がり、お気に入りのニットでるんるん気分になって、大好きなチーズケーキを食べて日々ハッピーだ。物理的なモノからダイレクトな幸せ感じる。
webもいいけど、そんな幸せをダイレクトに作れるものっていうのも面白そうだと思ってきていた。
一方で、プラットフォームでもなく、webでもないモノづくりってやばいな.....全然インターネットちゃうやん、という気持ちは猛烈にあった。
IT業界は変化が早く、常にテクノロジーと接していないと気づけば浦島綾太郎だ。インターネットで完結しないことを始めることの抵抗感は少なからずあった。リアルなモノが介在すると一気に別物だ。
リアル産業や、特定産業に根をはるタイプの事業に取り組むには、一定の覚悟が必要だと思っていた。
それでも何となく面白そう、という感覚を無視できず、やりたくなったらやっちゃう病気を抑えられずに、とりあえず作ってみるのを、自分に許すことにした。はじめは自己資本ではじめるし、とにかくやりたいことはやってみよう。どんどん新しいことをやっていこう、そんな感じで、はじめてみることにした。やってみると、驚くほどつまらないかもしれないが、そういうこともやってみないと分からない。まずやってみるか、そんな感じ。
シリアルたるもの緻密に考えに考え抜いき、俺が考えた最強のビジネスモデルをやるものだと思っていたので、なんか面白そうだからやってみよ〜服とか作っちゃお、となっている自分を少し客観的に見た時には、おいおいまじかよしっかりしてくれよ、と自分にドン引きしたのだ。
が、インターネットで完結するわけではないが、SNS時代のネット的なブランド作りを仕組み化し、センスを科学するプロセスを構築し再現性を高める、ネット的なブランド作りをやっていこうと自分を納得させた。
BASEなどの手軽なECストアサービス、SNSを組み合わせることで、ブランドの立ち上げは身近になったが、多くの人にとってはそう簡単なわけではない。
価値あるものを作れること、とお客様に知ってもらい買ってもらえるかは、ネットの仕組みを知っているかどうかの差が大きい。個人では中々それを1-10、10-100と、そのプロダクトが持つ価値を最大化していくのは難しい。
自分自身が、会社を売却した経験や投資を通した気付いたのは、やりたいことに専念するために、苦手なことは得意な人に任せて、自分の好きや得意を伸ばすのが、ずっと社会に大きなインパクトを与えられるし、ずっと成功確率も高くなるということだ。
個人の時代と言われるが、僕は個人が本当にたった一人でできることは、そう多くないように思っている。昔の有名な人が、connecting dots と使っていた意味とは違うが、ネットでエンパワーされた個人を有機的に紐付けるアーキテクチャが求められていると思っていた。
(特にD2Cはこの半年くらいで、すっかりバズワードになった感があるが、当時はそこまでだった。この領域は、投資家的には中々難しい側面もあり、意見が分かれ、自分自身も同様の懸念を持っていたので、悩ましかった。
相当ちゃんと売上、利益が出ないと高い時価総額を正当化しにくい。その割に、利益が出やすいので、EXITを作らず、塩漬けになる会社が増えてしまう懸念だ。キャッシュが潤沢なネット企業も、リアルなメーカーレイヤーに参入するイメージも湧かないことで、投資家としての出口が湧きにくい。ただ、これはエグジットに対して、自分が100%株主の会社であれば気にしなくていいので、一旦気にしないことにした。どうなるかの未来予測のために書き残しておく、ここは消すか悩んだ)
事業に話に戻ると、D2Cはセンスがいいプロダクトの責任者が一人いるかどうかが全てだ、と想い、こういうのをやるなら彼女しかいないと思って、かなり久々に連絡をした。
peroli設立のタイミングからいた第一号インターン生で、明るく馬力があり頼れるセンスフルガール、峰松だ。本当は新卒で彼女を迎え入れたかったが、当時は何も事業も立ち上がっていなかったし、資金調達額も自信も何もかもが足りず、誘うことすらできずに悔しい想いをした過去がある。なので、自分なりのリベンジでもあった。彼女はユニリーバから大阪のスタートアップに転職していたいたので久々に連絡して、何してるの、そろそろ帰っておいでよと連絡すると、気持ちの良い返事をくれてすぐ東京に戻ってきた。今、思うと泣ける。
そこからプロダクトを作り出すが、やってみると中々難しい。WEBサービスと違って、モノを作るまでのサイクルが長く、一回作るとそれ自体を改善するのが難しい。リーン大好き人間的には、コレはかなり萎えポイントであった。
色々と動いているとで峰松さんが一人、早稲田の後輩である、身長が148cmの女の子を拾ってきた、インターンをやるらしい。
僕と会った時の第一声は「わ〜、なんかこの人、見たことある〜」だった気がするが、確かなことはよく覚えてない。名は、田中絢子という。
そのインターンにきた身長148cmの田中は、友達の清水と色々やりたいビジネスを考えていた。いくつかプランを聞いたが、一つが身長155cm未満の小柄女性向けのアパレルブランドだった。うちの新規事業でやりたいという相談だったが、2人が課題の当事者でありストーリーにも共感できたので面白いじゃんやろうと思っていたが、あっさりオッケーも詰まらないので、2人の本気を測るために、日をおいて恐いピッチの機会を作り、予算を決めて正式にGOサインを出した。
2人は翌年の3月に卒業が決まっていたが、そんなことは関係なくCOHINAという新ブランドの立ち上げがはじまった。
少ない予算、未経験の2人で本当に全て何から何までガムシャラにやっていた。オペレーションなどは非効率で見てて耐え難いものもあったが、すべて2人に任せようと決めていた。正式リリース1月で、3月の数字を見ると、ブランドが立ち上がる兆しが見えた、が、まだ先のことは分からない。
ブランド責任者の2人は元々4月には内定先の会社に入社をする前提で事業に取り組んでいた。清水は外資コンサルの内定者であったが、入社数日前に内定を蹴った、とオフィスにその足で返ってきて、予想していなかったので本当に驚いた。この時にスタートアップを感じ、COHINAの成長を確信した。
マーケティングだけでは商品は売れない。お客様に求められる、ニーズがある商品をどう創るか、という商品企画も、InstagramのLIVEでお客様の声を聞き、コミュニケーションを取り、コミュニティと共に作り上げていく。サンプルの段階でInstagramに広告出稿し、そのデータ見て生産数量を決めたりもする。製造サイクルとキャッシュフローを加味した生産計画、リアルなオペレーション構築。一つ一つはシンプルなことの組み合わせだったが、ネットやデータから既存事業者と違うやり方でネット的なモノづくり、ブランド作りができそうと思えることが見えてきた。
COHINAは色々な困難と苦労がスコールのように振り続けたが、チームの頑張りでグイグイ成長していった。WWDに取材もいただいたが、2019年3月には単月売上5000万を達成するまでになった。年内には海外展開と、リアルな常設店舗も出すつもりらしい。自分がしたことは、はじめのGOサインを出したことくらいだったんじゃないかと思う。
他にも、峰松さんが手がける セットリングブランドのerror も好調で、売上も大台に乗ったみたいで、twitterとかInstagramでも話題で何かすごいらしい。気づけばブランドが立ち上がっていて、頭が上がらない。
errorについても、色々と書きたいのだが、また別の機会に。
他にもファッション系以外にも、面白いのを仕込んでいるものがある。
近いタイミングでまた公開したい。
前置きが長くなりすぎた。
newn は 正直なところ、まだどういう会社だ、と一言で言うのが難しい。
模索しながら、自分たちで輪郭を定めている途中だ。
ただD2Cの領域でのイメージがあるのは、
ネット時代の ブランドコングロマリットカンパニー だ。
ネット的ブランドビジネスの仕組みを発明し、
世の中に新しい価値を生むブランドを創り、
今まで満たせなかったニーズを満たし多くの人を幸せにする。
既存の産業のモノづくりのプロセスの常識に囚われずに、テクノロジーを活かしたサプライチェーンをゼロから構築し、新しい仕組みを創る。
特定領域に限らずアパレル、コスメ、家具、日用品、フードなど、
モノづくりの全ては変わりうる、チャンスがある。
BASEなどの手軽なECストアサービス、SNSを組み合わせることで、ブランドの立ち上げは身近になったが、拡大させることは、多くの人にとってはそう簡単なわけではない。
D2Cの事業モデルでは、商品企画・生産という部分以外は、マーケティングノウハウはレバレッジが効きやすく、創り手が創ることに専念できる経営をフレーム化することで、自社内製の立ち上げ方だけでなく、アイデアの持ち込みや、協業、M&A、様々な方法がある。
自分自身が、会社を売却した経験や投資を通した気付いたのは、やりたいことに専念するために、苦手なことは得意な人に任せて、自分の好きや得意を伸ばすのが、ずっと社会に大きなインパクトを与えられるし、ずっと成功確率も高くなるということだ。
新しい価値を生み出す、新しいコトを創っていきたい。
まだ新ブランドをあらゆる領域で、立ち上げていきたいと思っている。
手法論としては、内製、協業問わず、柔軟にやっていきたいが、現時点でも多くのクリエイターさんや、インフルエンサーの方々からもご相談頂いていたりするが、とにかく人が足りていない状況。
この文章を読んで、ビジョンに共感してくれた人は一緒に何かできると嬉しいです。
> 次回予告:時代のうねり~ 音 ~