気分変調症と41年間の私
先日の通院で、担当医に「私の病気ってなんなんですか?」と尋ねたところタイトルの病名を告げられた。
そして子育てが落ち着くまでは、通院も投薬も続くとはっきり言われた。
気分変調症とはなんだろう。
という事らしい。
そして別のクリニックの解説では、思春期にも発症しやすいが思春期ゆえと思われがちで、治療に漕ぎ着けず大人になってから抑うつなどの精神疾患を併発し、重複うつとして症状が重くなることもあるという。
私は暗黒期と呼んでいる高校時代がある。
近いから(徒歩3分)という理由で必死に勉強して入った高校は、ゴミが廊下に落ちてただなんだで学年集会が開かれるような、ただただ校則で生徒を締め付ける息苦しい学校だった。
埼玉県の公立主義に染まっていた私も親も担任も、そこそこの偏差値で文武両道、良い学校に違いないと思って入った所がこんなんだったので、高1の終わりには転学したくて仕方なかった。が親には言えなかった。
親は親で公立の酷さを目の当たりにして、奔放な妹を単願で私立に入れたくらいだ。きっと先生の言うこと聞いてれば絶対大丈夫ーって生徒なら生きやすかったと思う。
でも頑固親父とのディベートを楽しむような変わり者の私は、大好きなソフトテニス以外通学の意味を見出せないくらい苦痛だった。
高2くらいで不登校ぽくなる。行こうと思うとお腹が痛い。眠くて眠くて仕方ない。サボるわけでも音楽や漫画を楽しみでもなく、ひたすらに寝ていた。
今思えば、もうここで発症していたような気がする。
自分のことは嫌い。
世間には中高生で漫画や歌でデビューして輝いている子がいるのに自分は何もできない。
友達ができないのは自分のせい。
当時よく絵に描いていたモチーフがある。
背中を向けた全裸の女の子が空を見上げているけれど、目には包帯が巻かれている。足元は革製のミドルブーツを履いている。
油絵でもアクリルでも何度も何度も描いた絵。あれは何を表現していたんだろう。
一度、親が都内の思春期外来まで連れて行ってくれたけど、やっぱり厨二病的な扱いで終わった記憶がある。
でもそこからずっとずっとずっと、私は無価値で一生懸命やった所で華やかな舞台には上がれない惨めな存在という思いは消えなかった。
好奇心旺盛で、絵画にピアノ、ドラム、バンド、編み物にデザイン、ゴスロリに着物の着付け、ライブに行けばヘドバンしてサークルモッシュ突っ込んでいき、カラオケ採点で90点台出るまで何度も練習、多趣味にも程があると言われても、プロじゃなきゃ意味がないと思っている自分がいる。
41年間は言い過ぎにしても、中学で転入生にいじめられるという経験あたりから自己肯定感爆下がりだったので、おそらく25年くらいは、この気分変調症に該当するような人生を歩んできたのではないだろうか。
いやぁびっくり。四半世紀も自分の事が嫌いで死ねば良いと思っていて無価値で虫ケラみたいなもんだと思ってた事に病名があった事にビックリですわ。
唯一、いや唯ニになるのか、私の肯定感を上げてくれたのが夫と子どもたち。
「私はいつも死にたいんだよね」と付き合ってる時に打ち明けたら泣いて「他人の評価なんかいらないじゃん。俺が必要だって言ってるんだからそういうこと言うな」って怒った夫。
おぎゃぁと産まれてからニコニコさん、しかし寝付きは悪くて度々私をキレさせた息子だけど絶対の信頼を寄せてくれた。ちょっと神経質で、体調悪いとブスくれてプンプンする私に似た娘は、寝る時私のどこかに触れていないと寝れない。
この人たちのおかげで、私の肯定感は少しだけ上がったと思う。
社会人1年目の時にやっぱり生きづらくて、都内のメンタルクリニックに行った事がある。姉妹でお世話になったのだが、お姉ちゃんの方が根深いと言われた事がある。これの事だったんだろうか。
今回病名を言われて、調べてみたら結構ショックを受けた。でもストンと落ちてきた事もある。
とにかく適応障害から気分変調症に変わった今、先生の言うとおりに通院と投薬を続けるしかない。
大丈夫、通院日に外食でとる昼食が意外に楽しみなんだ、最近。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?