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”よろい” を一生着続ける?ミドルエイジだからこそ考えたいこと。

こんにちは~! ライフコーチ ayaSuzuです。


今日は、

『自分の弱さを隠す、克服するのは、
 本当の強さではない』

というお話です。


ayaSuzuが、20年間外資系企業で
働いていた時のこと、
いかに強くあれるかが鍵でした。


女性活躍先進企業でもありましたが、
それでも、まだまだ男性中心、
さらに女性で活躍している人は
強者ばかり(に見えていた)。


そんな中で、
職場で泣くなんて弱さ丸出しだし、
(といっても、何度か泣いちゃったけど)
基本、あってはならないこと。


親会社の米国だけではなく、
日本以外の主張の強い国民性の
他国のメンバーとのやりとり、


あいまいに「Yes.」なんて
言っちゃった日には
大変なことになるわけで、
(とんでもないターゲットを
 背負わされる..…><)


巻かれないように
気丈にこちらの主張もしなければ
ならなかったりするのです。


仕事たるものそんなもん!!
と、いつの間にか
強さを身に着けてしまったんですよね。


強くありたかったかどうかなんて
考えている余裕も、選択の余地も
なかった気さえします。


自分の弱さとか、欠けている部分を
なかなか素のままにさらけ出すことは
どこかで危険なことだと思っていたのかも
しれません..…。


だから、一生懸命克服しようとするか、
見せないように必死になるわけですが、
(特にビジネスの現場では)


そうやって、身に着けた強さの鎧は、
本物の強さなのでしょうか??


そして、よろいを
一生、着続けたいでしょうか?


ayaSuzuは、コーチングを学び、
コーチとして活動する中で、
この「強さ」の定義が変わってきました。


本当は、弱い自分も欠けている自分も
自分の中にあるんだから、
あるものはないことにはできない。


これが真理だと思っています。


弱さは弱さのままあっていいし、
欠けている部分も欠けたままあってもいい。


そうやって、自分の一部として
あるがままに受け入れられたら、
もう隠すことにも克服することにも
変なエネルギーを使わなくて済む。


そして、自分の弱さ、欠けている部分を
難なく補ってくれる人、助けてくれる人に
出会えたら、


その人のありがたさや素晴らしさを感じることも
できるんですよね!


もし、克服前提、隠す前提でいたら、
難なく補ってくれる人、助けてくれる人を前に、
自分の弱み、欠けている部分を
より一層実感して凹んでしまうかもしれません。


「私は、この人みたいにはできない.…」

「なんで、私はできないんだろう.…」 と。


弱みを克服することで、
身に着けた能力もあるでしょう。


若い頃はそれも必要かもしれませんし、
今まで積み上げてきたものを
否定する必要はないと思います。


でも、ミドルエイジからは、
弱みの克服にエネルギーを使うほど
余裕はありません..…!!


自力で何でもできることも、
素晴らしいことだけど、


人の力を借りてできることの
素晴らしさを実感する豊かさも
あるのです!!


だからこそ、
自分の弱みや、欠けている部分を
「あっていいよね」と、



素直にさらけ出せることが
本当の強さではないかと、
ayaSuzuは、そんな風に思うのです。


外資系企業でも、起業家の中でも、
なんか強さがハリボテのように
感じてしまう人っているんですよね。


自然体でないというか、
頑張って強くあろうとしている
その緊迫感が、何とも痛々しいというか、、、


これって、周りも疲れさせちゃうし、
なんか、不思議と伝わっちゃうもんなんですよね。


そんな風に一生懸命強く見せようとする
がんばる人間も、健気だなーと思う一方、



それは、やっている本人も
本当の自分からは
どんどん乖離していっちゃうんで、、、
辛いだけなんですけどね。


本当の強さって、
弱さもどんな自分の一面も含んだ
素のままの自分と



言っていること、行動していること、
体現していることが一致していること、


それが本物だと思うし、
それは自ずと伝わるので、
本当の信頼につながるのではないかと!!


ayaSuzuも、
まだまだ、鎧着ちゃうこともあるだけに、

そうなれたらいいな~!
そうなりたいな~!!


今日もお読みいただきありがとうございました!

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