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上司が~会社が~夫が~ではなく、課しているのは自分

こんにちは~! ライフコーチ ayaSuzuです。


今日は、

『期待も責任も課しているのは自分!
 だったら課すも課さないも自分次第』

というお話です。


突然ですが、
やりたくないのにやってることありませんか?



会社が○○だから仕方ない.…
上司に期待されてるから私がやるしかない…..
親として責任を果たすべき.…


こんな大義名分の下に
自分に「やるべき」「やらざるをえない」と
課していることはありませんか?


ayaSuzuは数年前まで
「○○すべき」を自分に課しまくる
人間でした。


いかに自分に厳しく
「○○すべき」を課して
それを達成できるか?


そんなゲームに翻弄されていたと思います。
(もちろん、その時はゲームとは全く
 思ってなくて、マジでやってました><)


○○だから仕方ない
○○のせいで.…
状況的にやらざるを得ない


みたいな感じで、あたかも
周りから課されたから仕方ないと、
自分を説得してましたし、



「○○すべき」を多く引き受けられることが
良いことだとも思っていたんですよね。


でも!!
本当は、他人が自分に何かを課すなんて
できないんはずなんですよね...…


たとえ何かを依頼されることがあっても、
最終的に引き受けるかを決める権利は
自分にあるからです。


でも、結果、引き受けることになっちゃう.…



それは
必ず何らか引き受けるメリットが
自分側にあるからなんですよね!


責任果たすことで
 信頼される
 必要とされる
 できない奴って思われなくて済む
とか...…


ほとんどの場合、
「私、ここにいていいよね?」
「私、いる価値あるよね?」
という、自分の存在価値を実感するため、
証明するために、



人はひたすら行動をしているとも
言われています。



でも、そうだとしたら、
こう捉え直してみるといいのです!


「信頼を得たいから、
 私はこれを引き受けてるんだ」

「必要とされている実感を得たいから、
 私はこれをやってるんだ」


というように、
「自分がそのメリットを得るために、
 これを選択している!」
という実感が大切なのです^^


もし、そこで、
「そのメリット、取りに行く必要ある?」
「あれ?それ、ほしかったんだっけ?」
と、疑問をもったら、
取りに行かない選択だってできるんです。


そこに選択権がもてるということが鍵!!


「○○すべき」「○○せざるをえない」って
捉えている限り、
そこに選択の余地はないんですよね....…。


そうすると、不自由だし、
縛られてる感じがするし、
自己犠牲感も伴ってきますよね。


でも、自らメリットを自覚した上で、
それでもやるか?やらないか?を
選択できる状態であれば、


どちらを選んでも、納得感をもてるはず。


「まぁ、やりたいわけじゃないけど、
 必要とされてるって感じたいから
 今回はやるかなーー」とか


「まぁ、これやったら信頼が増すのは
 わかってるけど、キリがないから
 今回はやめておくかーー」といった感じ^^


どっちが正解とかはないです!
その都度答えが違ってOK。
選んだものが自分にとっての正解なのです!


結局は、そのとき、その瞬間に、
あなたが何を優先したいか?


本当はやりたくないよーっていう
幼児のような気持ちも尊いし、

自分の存在意義を感じてたくて、
つい引き受けにいっちゃう自分も
尊いし、


そこに優劣も善悪もない!!



どんな選択であっても
自分が選んでるって感覚さえもてれば、
だいぶ不自由さは薄れてきませんか??


ayaSuzuも、まだまだ、無自覚に
「○○すべき」を課していることが
ありますが、、、w


後からでも、
「私、今回は○○を優先したかったんなぁー」
と、振り返って


いつまでも「やらされた感」に
クサクサしないようには
心がけてまっす、笑!


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