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飲み会のセッティングが好きになれなかったダメ人間

 皆さんこんばんわ、あやすけです。

 

 今日は自分が「勤め人」だった時の事を書きたいと思います。

 
 両親が経営するコンビニを手伝い始める前、私は勤め人をしていました。

 体力的に激務な部署に配属されること数年、本店に配属されて暇すぎて困ること数年、今度はメンタル的に激務な部署に配属されること数年・・・そんな状況を経験したのち、最後には「心を病む」という形で、12年という私の勤め人時代は終わりを告げました。


 心を病んだ理由は、正直なところ自分でも分かりません。過去を振り返って考える今でも、やっぱり分かりません。「あいつのせいだ」という感情も湧いてきません。まぁ何というか、そういうモノなのでしょう。

 
 上手く表現できませんが、どうしても理由を言葉に表せと言われれば、「自分には合わなかった」となるのかも知れません。漠然とし過ぎた、理由とは言えない言葉ですけどね。


 ・・・どうにも駄目だったんですよね〜。「仕事を円滑に進めるためには仕事以外のお付き合いが大事だ」とか、「仕事が出来る奴はセッティングできる飲み会場所の1つや2つは調べて持っておくべきだ」とか、「上司には上司の立場があるのだからそれを汲んで穴がある提案書をまずは作るというテクニックを学べ」とか、「幅広い人脈を持つことは出来る人間の重要な要素だ」とか・・・もう本当にそういうの、苦手だったんですよねぇ(笑)


 「ワガママな奴だ」とか「使えねぇ」とか、そんなこと言わずに皆さん聞いてください。努力はしたんですよ、わたしも。

 好きでも得意でもない野球を始めたり、好きでもないお酒を飲める場所をリサーチしたり、相手がどんな食い物が好みなのか情報を収集して場所をセッティングしたり、業務に直接関係の無いスキルやテクニックを磨こうと努力したり、人脈を広げるために飲み会の場所に出来るだけ顔を出そうとしたり・・・

 いわゆる、「これが仕事が出来る人間だ」と自分が思っていた「人間」になろうと、努力をし続けました。


 私にそういった能力が人並みにあれば、上手く出来たのだと思います。別に人より秀でていなくても、それは「人並み」で十分だったはずです。誰もがそうやって生きているのですから。

 
 「人と違う」ということは、とかく美化されがちです。ですが、現実は決してそんな「キラキラしたモノ」では無いと私は思います。「人と違う」ということは、すごくすごく、しんどいです。人と同じにように考え、行動し、生きることが出来るのなら、それは本当に「幸せな人生」を全うできると、心から思います。
 

 しかし残念ながら、私にはそういった能力が、人並みにすら無かった、ただそれだけです。つまり心を病んだ原因は、「これだ」と言えるものは見つからないけど、でもやっぱり「私のせい」となるのでしょう。そして最も大事なことは、「それでいいんだ」と思えるくらい自分が強くなることでしか解決しないのだと、今では思えます。


 そう思える段階に精神的に復活するまで、人生を終わらせること無く、今も生き続けていられるのは、いえそれどころか、価値観が180度変わって、心を病む前よりも「超回復」して強くなってしまった今の私があるのは、30代後半で無職になった私を何も言わずに暖かく見守ってくれた、働く場所を無償で提供してくれた家族であることに、間違いありません。


 もし、私と同じように、「あれ?俺って他のみんなと違うなぁ、駄目な人間だなぁ」と感じる毎日を過ごし、仕事に行かなければならない朝がもう本当にしんどくて仕方なく、夜も更けた時にふと「眠ったら朝になってしまうのが嫌だ」と感じる毎日をお過ごしの方がいらっしゃったならば、どうかご自分の人生をリセットすることをお勧めします。つまりそれは、別の環境へ自分を移動させるという事です。


 私の、その移動先の「別の環境」は、コンビニでした。年収は、半分となりました。「たかがコンビニ」という意見を持った、ほんの一部の方の矢面に、毎日立ち続けています。そして今の私は、眠って起きた時に迎える朝が、ワクワクしてしょうがない毎日です。私の人生の現時点での目標は、勤め人時代の年収を超えることです(笑)



 それでは今日はこの辺で。

 このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。

 

 


 

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