死ぬこと以外はかすり傷

私は長年、病気をしていたので、おそらく世の平均より心の傷に対する耐性がついている。
言うならば「死ぬこと以外はかすり傷」くらいの状態だと思う。
もちろん、傷を負ったらその分精神的、身体的に被害は出るものの
被害が出ることが煩わしく思うくらいで、本心では「傷がついたので、被害が出た。」としか思わない。
それで、傷つけてきた相手を傷つけるとか、傷ついたことで自暴自棄になる。みたいなことはない。無意味だから。

他人に自分と同じレベルを求めてはいけない。
多くの人間は健康な身体で、健全な人生を生きている。
傷に対する耐性など必要ない人生を生きている。
私が傷に対する耐性があるとしても、同じレベルを他人に求めてはいけない。
本来なら、私も傷に対する耐性などつけるべきでは無かったかもしれない。
これだから、人と深い仲になれないのかもしれない。

傷ついても関わるのが人間関係だと思っていたけれど、それは私だからそうなのであって
傷ついたなら距離を取っても仕方がない。
傷ついてまで関わろうとする人はごく少数か、異常な経験をしている人だけかもしれない。

私は人との関わり方があまり上手くない。
流石に今回は私が間違っていたと思うから、改善しようとは思うが。
(主に、意見を言うまでに長期で考える時間があることが問題だったと思う。意見は即座に言うべきだった、それが相手を傷つけることになったとしても。)

私は、この調子で大丈夫なのだろうか。
私の自信も自己肯定感も、自己効用感から生まれたものだ。
なのでもし、私に自分では改善できないような、人と関わる上で大きな困難となる欠点があった場合
私は生きる意味を失くす。

まだその時じゃないし、まだ改善を試してすらないから、これから長い目で見て、どう変化するかによるが
私がこうしている間に、世の多くの人は何をしているのだろうか。
怠惰に過ごしているか、勤勉に努力しているか
私はどのあたりにいるのだろうか
私と関わり合える相手はいるのだろうか

…いや、流石にいるわな。
いくら悲観的でも「この世に一生1人です」みたいなことは考えないわ。
私は愛されて育ってきたし、これからも愛されて生きていくだろう。
そうして誰か、私からも愛せる人を見つけて
幸も不幸もある中、前を向いて生きるのだ。
その意思があるし、それを実現させるだけの根性もあるはずだ。
今までで傷つけてしまった人には申し訳ない。
そしてもう2度と関わることのない人たちには、謝罪すらできない。
どうかその人は、その人の人生で幸福になってほしい。
そう思うことがその相手への、せめてもの餞だ。

今関わっている人も、もう関わりのない人も
色々傷つけてしまったと思う。
その上でも、それでも今も私と関わり、大切に思ってくれている人たちを、絶対に後悔させたくない。
今はまだ未熟な私だが、そんな私でも、幸福を目指してもいいはずだ。
前を向こう、淡々と努力しよう。
これから幸福にする人たちのために、これからも生きていこう。


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