私は小麦アレルギーなので、色々なグルテンフリースイーツを食べてきている。 今回は、なんとなく思い立って、ここ最近食べたグルテンフリースイーツをまとめることにした。 『倉敷おからクッキー』 食感は硬めで、ビスケット感が強い。 好き嫌いは分かれるような気がしないでもないが、グルテンフリーで硬めのクッキーは珍しいので、硬めクッキーが好きな人にはオススメ。 あと、おからが入っているので、カロリーは低い気がする。詳しくはわからないけど。 味も色々あるので、試してみるのも楽しい。 個
私は長年、病気をしていたので、おそらく世の平均より心の傷に対する耐性がついている。 言うならば「死ぬこと以外はかすり傷」くらいの状態だと思う。 もちろん、傷を負ったらその分精神的、身体的に被害は出るものの 被害が出ることが煩わしく思うくらいで、本心では「傷がついたので、被害が出た。」としか思わない。 それで、傷つけてきた相手を傷つけるとか、傷ついたことで自暴自棄になる。みたいなことはない。無意味だから。 他人に自分と同じレベルを求めてはいけない。 多くの人間は健康な身体で、
割と意見をはっきり言う方だとは思っていたけど、相手を傷つけないことを第一に判断しがちなので、一周回って相手をめちゃくちゃ傷つけることがあるということが発覚した。 その場で言った方がダメージは少ないのだ。 しかし、この世の人は自分に対して批判的意見を言われて、ダメージを受けない人はいない。 言うならば傷つけないように「あなたが傷つく話を今からしても良いか」という前提を置いてからしたい。 そう考えた結果、意見を言う機会を逃して相手を傷つける。 という事象が発生することがあると、
最近気づきつつあるが、私は秋が好きらしい。 一番好きな季節は初夏だけど、もしかしたらその次くらいに今の時期の、秋の初めが好きだ。 理由を考えたら色々あるが、おそらく世間一般で考えられる過ごしやすさみたいなものとは別で 感性で好きなんだと思う。 あとは今まで過ごした記憶が理由で好きな可能性もある。 空が澄んでいて、陽が眩しい。 朝焼けが綺麗で、朝起きた瞬間から幸福感を感じる。 記憶としても、友達と出かけた思い出がたくさんある。それに好きな花が咲く季節でもある。
「自分を大切にするといい」というのはよく言われることだが、具体的には何をすればいいのだろうか。 まず、一番実践しやすいこととして、物理的に自分のケアをすることだと思う。 美味しいご飯を食べる、綺麗な服を着る、お風呂上がりにボディクリームを塗る、パックをする、ヘアケアをいつもより少しだけ念入りにやる… それだけで、自分を大切にしているという感覚を得られる。 セルフネグレクトという言葉があるが、自分を蔑ろにすると「自分はこの程度の扱いを受けても仕方のない人間」というふうに、自
私たちは多くの人に助けられながら生きている。 助けられる量も頻度も個人差はあるが、基本的に自分一人の力のみで生きることは不可能なことのように思う。 愚痴を聞いてくれる、約束時間に少し遅れても待っていてくれる、物をしまう時に荷物を持っていてくれたり、ご飯の時にカラトリーを取ってくれる。 そんな些細なところから 一般に迷惑とされる時間帯に電話を繋いでいてくれる、泣いているところに駆けつけてくれる、お弁当を忘れた友人のために自分の分が減ったとしても分けてくれる という多少の自己犠
心気症は、些細な身体の変化で「自分は病気なんじゃないか」と不安になる。 私は中学生の頃から心気症で、およそ10年間、心気症に悩まされていた。 今も悩まされてはいるけど、かなり軽くなったと思う。 なので、軽くなった理由について思い当たることを書いてみようと思う。 心気症が軽くなった理由として思い当たるのはいくつかある。 『日常から予防を心がける』 『治療法の把握』 『森田療法の実践』 『慣れ』 それらを順番に話していこう。 『日常から予防を心がける』 については文字通り。
毎年、秋になると私の心身の体調は崩れがちになる。 不安障害は悪化するし、メニエール病の発作は出やすくなるし…本当に一体私が何をしたと言うんだ。 なんの罪もない(はずの)私に、今年も容赦なくこの季節がやってくる。 長年生きてきて「今年の秋こそ調子良く過ごせますように」なんて夢も見なくなり「今年も可能な限り傾向を掴み、全力で対策を練ろう。」くらいのノリになっている。 というか、もはや少し楽しみでもある。 今年は私はどんなふうに調子を崩すのか、調子の崩し方は年々悪化するのか、そ
好きなVtuberのふーちゃん(Fulgur Ovid)の動画を見ていて、素敵なことを言っていたのでメモ。 「誰かが人生で一番辛い日を耐えていることは、見た目ではわからないんだ。電車とかで誰かを見かけて大丈夫そうに見えても、綺麗な服を纏い 冷静そうに見えても、イヤホンを付けていて、調子いいように見えても、本当は愛する人を失ったばっかりかもしれない。 最悪の診断を下されたばっかりかもしれない。 慢性の痛みを耐えていて、誰にも気づかれないように隠しているかもしれない。 人間はい
今日は低気圧で朝起きた瞬間から頭痛と倦怠感を感じていた。 少し前までなら「気のせいだ」とか「休むことで時間を無駄にする」とか理由をつけて、勉強やら趣味やらをこなそうとしていたと思うが、最近はそうしない。 それは、無理をすることが抑うつの引き金になることを思い知ったからだ。 うつ病経験者の話でもよく「自分に合わないことを無理してやることは、うつ病(抑うつ)の引き金になる。」という話を聞く。(『うつヌケ』という、うつ病経験者の記録をまとめた漫画にはかなり強くその主張が書いてあ
私には不安障害がある。 そのため、日常の些細な物事に対して不安になり、生活に支障が出たり、出なかったりする。 そんな不安障害にかれこれ数年間、悩まされ続けて気づいたことがある。 それは、不安障害は本心から不安に思っているわけではなく、不安という状態が先に起こり、その矛先をちょうど今気になっているものに向けているということだ。 私は専門家ではないのでこの予測が外れている可能性はあるが、私の体感だとそんな気がしている。 それがわかるようになってからは「今は不安障害の症状が出て
私は数年前、病気で引きこもりだった。 詳しい話は割愛するけど。 ただ毎日、痛みに耐え続けて、病名もつけられない状態で、ベッドの上で過ごしていた。 そんな当時、私は20歳とかで、高校の同級生のSNSはやれ彼氏だのやれインスタ映えだの、若者らしい投稿が上がっていた。 同じ高校を出て、同じ人なのに 私はおしゃれもメイクも、人と関わることすらできないまま、原因不明の痛みに悩まされてずっとベッドの上 一方友人は、それなりの悩みはあるだろうが、オシャレができて、友達と遊べて、彼氏がいて
『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』という本を1年半くらい前に読んだ。 読んだきっかけも、鬱小説一覧みたいなものの中に入っていたから「どんなものだろう?」と読んでみただけだった。 しかし、思わぬ収穫があった。 当時読んだ後の私が書いた感想を載せておく。 「中学生だとどうしようもないことってたくさんあるけど、その中で戦うにしても、威力を誇る実弾で戦うのではなく、砂糖菓子の弾丸で自分の幸福と救済を作り上げるしか無力な彼ら彼女らには出来なかったんだろうな。 って感じ。」 空想や理
私は今大学生なので、勉強をたくさんしなきゃいけない環境にいる。 しかし、集中力が持たない時ややる気の出ない時がある。 それに対して「気持ちの問題」とか「怠惰なせいだ」とか、言われそうな気もするし、そういう部分も確かにあると思うが、それなりの確率で身体的に勉強出来る状態にないこともある。 例えば今日、勉強やる気出ないし、そもそも布団から起き上がれない…と思っていたが 起きてしばらくして脱水であることに気づいた。 自分の1年間を振り返ってみても、案外こういうことは多い。 気圧
もし、誰かを好きになったとして、その人の暗い部分も受け止めたいというか、暗い気持ちを共有したいと思うのに、この人を自分の暗い部分に巻き込んではいけないという気持ちもある。 前を向いて幸せを目指している人を、自分の不幸に付き合わせてはいけない。 私も相手も明日も生活がある。 前を向いて生きていかなきゃいけない。 こんな、命を棒に振るようなこと、しちゃいけない。それはきっと救いであっても幸福じゃない。 そう考えると 私の人生はいったい、何だったんだろう。 これからも、何なんだろう
もしも、自分の人生が上手くいく未来があったら… みたいなことを考えられないのは(悲観的なのは) 自分が幸福になることを肯定できないからで、多分上手くいかなくて「やっぱり私ってその程度の人だったんだ」って、安心したいからなんじゃないかな。 日常生活の上だけだとそこまで表面化はしないけど、自己否定がこういうところで表れていると思う。 それが病的とまでは言わないけど、人生に困難をもたらしている気がする。 私はなぜそこまでして自己否定したいのだろうか… そう考えると自分が自分に期待