私たちは多くの人に助けられながら生きている。
助けられる量も頻度も個人差はあるが、基本的に自分一人の力のみで生きることは不可能なことのように思う。

愚痴を聞いてくれる、約束時間に少し遅れても待っていてくれる、物をしまう時に荷物を持っていてくれたり、ご飯の時にカラトリーを取ってくれる。
そんな些細なところから
一般に迷惑とされる時間帯に電話を繋いでいてくれる、泣いているところに駆けつけてくれる、お弁当を忘れた友人のために自分の分が減ったとしても分けてくれる
という多少の自己犠牲を払うところまで様々だが、そういうさまざまな支えをしてくれる仲間がいるからこそ、自分の人生は成り立っているように思う。

しばらく前だが、外出中に酷い抑うつが出てしまい、外出先で動けなくなってしまったことがあった。

その時は真冬の夜で、酷く寒かったのを覚えている。
精神も体調も酷くて、動けなくなって、公園のベンチでただ一人泣いていたとき、友達が電話をかけてくれた。
その友達はそれから1時間半くらい、まともに話せない自分との電話を繋いでいてくれた。
なんて優しい人だろうと思ったし、この人の人生は幸福であって欲しいと思った。
そして、この人には一生をかけて、この恩を返そうと思った。

「一滴の水の恩を、湧き出る泉をもって報いる」
それが私の理想とする思想である。
といいつつ、実現はかなり困難で
一滴の恩を与える人は、恩を与える癖が生活に染み付いている。
私がいくら恩を返そうとしても、それ以上の恩で返されてしまう。
そうして、人間関係の内に良い循環が出来上がる。

今、私のいる環境はそれで成立している。
もちろん、少しの揉めごとが起こることもあるし、不満もないわけではないと思うが、基本的に関わる多くの人には「恩を恩で返す」という文化がある。
あまりにも強い自己犠牲を伴ってしまうと不健全だが、自己犠牲が全くない関係だった場合、ここまでの安心感は得られなかっただろう。
絶妙なバランスでこの環境が成立していることを奇跡のように思う。

この環境を保持する一員として、私も「恩を恩で返す」こと。欲を言えば「一滴の水の恩を、湧き出る泉をもって報いる」ことを達成して、生きていきたいと思った。
そんな一日。

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