結果と言う物だけが指標なのだろうか。

私達は、犯罪者を悪者としてしか見ていない。
法律を犯したのだから、其れ相応のさだめなのかも分からないが、何にせよ、釈然としない。

犯罪を犯す=法律を破った。破ってしまった。
その事を、いいよいいよ。許すよ。などと、言う気は、毛頭、ない。

だけど、正直なところ。
この人は、いつか、何処かで、何者かに、何かしらの方法で痛めつけられるのではないかと思ってしまう人は、星の数以上、存在していると思うわけです。
十人十色とは言いますが、それは、発信者も受信者も共に十人十色な訳です。

話が脱線してしまいそうなので、戻しましょう。

この世界を、ほぼほぼ牛耳っているに近いであろう、我々、雇われ人類が、知恵を絞って考えねばならない事は…

どうして、そのような事が起こったのか。

であって、ニュースと言う結果だけを見て
その人達が歩んできた人生や価値観
その後の人生までもを否定する。
群衆と言うのは、タチが悪い。

そして、特定の人や事へ、執拗な否定を出し続ければ、それは、憎悪しか生み出せないかもしれない。

耳を傾けなければならないのは
案外、被疑者側なのではないだろうか。

死んでも良いや

と、この世界に見切りを付けて暴走する人が
一握りでもいる事が、この世界にある闇の確固たる証拠だろう。

闇の外の光の中から
どんなに手を伸ばしても
どんなに大声を張り上げても
闇の中へは届かない。

闇の中へ、手を伸ばして
闇の中で、声をあげ
そちらへと引っ張られない覚悟と
気持ちはありますか?

知りもしないで
結果だけを傍観して
罵り、嫌うのは
少しだけ、違うように思いました。

八方塞がりのバカな死兵の
やりきれぬ声に
耳を傾けむ愚かな賢者。

その、どちらもが
不幸せに相応しい。

幸せって
案外、気楽なもので
その辺に落っこちてるもんじゃないでしょうか?

今日も、綺麗な星空の下
眠りにつく人が
一人でも多くなりますように…

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