ガールズバンドクライ 運命の華
まあこれはアニメ観た感想じゃなくて、だから文脈がどうとかの話もできなくて。ただ、『運命の華』を聴いてくらってしまった話。
なんとなくアイコン(画像がどうのじゃなくて、ペルソナ的な性格を腑分けした自分)がある場所だと恥ずかしくてできない話だよ。ここは、そういうのと無縁の場所として扱ってるからさ。自由だね。
吐き出したい思いがあった。それは声にしたいとかじゃなくて。どうしたって言葉でしか、文章でしか生きられないから。選んだつもりでも、初めからこれしかない生まれ方をしていたから。
綴っていく。長くはない。読まれる価値のない自分語り。
物心ついたときから、周りと見ている風景のレイヤーが違っていた。これが天才性の所以や具体的な病名がどうとかなら理由として依存できたかもしれないけど、実態としてはただ劣ってるだけ。ただの結果論。
ずっと周りは正しくないと思って生きてきた。けど、何がそう感じさせるのかを言語化する能力がなかった。感覚なんて不安定なものを信仰できるほど、身近だった宗教とのかかわりがそうであるように、確固たる信念がなかった。
だから、大勢が正しいと言っていることが正義だと思った。間違っているのは自分だと思って生きてきた。
自分の選択で何かが実を結んだことがないので、本当に間違っているのだと思う。
それなのに、自分は間違っていないという確信だけがあった。
死はわざわざ考えるほどのことでなく、自然な選択肢だった。
13歳の夏、20歳の終わり、28歳の誕生日……どこまでも間違っていると痛感して、いつかを取り戻すように繰り返して、ロックスターになれなかった自分に失望して。
でも、どうしても手首の上に置いた刃を引けなかった。未練があった。
間違ってないのに、どうして死ななきゃいけないんだ。
ほんとうにどうしようもないと思う。
最近よく、同じ言葉を反芻する。
「小さな頃に見ていたものは、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。」
(CARNIVAL 木村学 )
「ロックンロールという言葉はね、きみが勇気をもって暗闇で顔をあげるとき、いつもそこにあるものの名前なのさ」
(MUSICUS! 花井是清)
思う。
本当にどうしようもなくなって、すべてが駄目になって。この世界の何を見るのも嫌になって。でも。それでも、意地はって前を向く。そんなときに見える希望が、ロックンロールなんだなって。
それは側から見れば生き様かもしれないけれど、当人からしたら命だ。
生きてるなんて、到底言えないし。心臓が動いてるだけのゾンビだよ。
でも、生きたいから。間違ってないって思ってるから。自分の命に手を伸ばす。
救いも赦しもいらない。だれかから与えられるものはないって思っている。
「嬉しい」
「そうやって、命のひとつになって――――いつか誰かが、食べてくれたら」
「そういうところにいたい」
「泥の中に」
(THE IDOLM@STER SHINY COLORS 浅倉透)
自分の内側で熱をもつ間違っていない理由を知るために文章を書き続け、少しはこの世界の美しさを信じたくって物語にかかわっている。生きるのはすごくしんどい。けど、生きていることは間違ってないって言える。これからもがんばってみる。
消えたくって 羽ばたいて 今
消えたくなくなった
摘み取って残した ここでいつか 華咲かせる
消えたかった 私はもういない
消えなくてよかったな…
だって君と出会い 芽吹いてしまった 運命の華
(運命の華)
物語以外にだって、音楽やいろいろなことをきっと、少しくらい信じてみてもいいんだと思っている。