被害者を苦しみから解放するのは、理解者の存在ではないだろうか。
法科大学院で起こったセクハラについて、弁護士をされている重鎮の先生に話す。セクハラ行為に対して拒絶し、辞めて欲しいと懇願した結果、私に対する誹謗中傷に変わったと。悪評を回された私に居場所は減っていったのだった。
トイレでの盗撮、スカートめくり等々のセクハラを拒絶してからの、やられて良い人間なのに拒絶したおかしい奴という人格非難は堪えた。このとき、鎮火のために動いて下さった重鎮の先生は、私から一銭も取ろうとしなかった。もっとも、そうなると私に発言権はない。先生への信頼と、お金を払っていないことがあって、加害者に行って下さった不法行為に基づく損害賠償請求の金額は、先生にお任せした。
世の中の実態としていじめやセクハラの被害者が加害者に請求して認められる案件は多くない。認められても数万円だったりする。にもかかわらず数十万円の慰謝料が入ったことは、セクハラの何よりの証拠となった。
しかし、私が欲しかったのは、お金ではなく、加害行為を認めたその書面だった。
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重鎮の先生はお気づきであっただろう。私が求めているのが、マスコミへの通報による加害者の公開処刑だったことを。解決した日に事務所に呼ばれた私は、
「人間は、前を向いて歩いているから忘れて欲しい。この示談書は、僕が預かっておくね。」
と言って、私には複写を渡しただけであった。そして、首を横に振る私に続ける。
「マスコミは味方じゃないから、いいように踊らされる。あなたが辛い思いをするし、これを公開したら、加害者たちは自殺するかもしれない。そこまでやってはいけない。」
と。加害者たちの将来なんて知らないと思う程、深い傷を負っていたが、私は先生の意に歯向かうことはできない。だから、頷くしかなかった。
あのセクハラ三昧からの人格非難の罵詈雑言の環境を許したことはない。ただマスコミに公開しなかったのは、重鎮の先生が、
「やっつけてやる!」
と精一杯やってくださり、そして、慰謝料からも成功報酬を1円も取らないで下さった思い遣りを無下にしたくなかったからだった。
勿論、今でも許せないし、可能なら究極の天罰を与えたい。この10年、何度、重鎮の先生に正本を返してと伝えようと思ったことか。
しかし、先生が「勝ったよ!」と仰って下さったときの笑顔を思い出すと、返してと伝えることは出来なかった。
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被害を訴える方法として、本来は逮捕起訴があるべき姿だろう。しかし、それは容易なことではない。犯罪全てを取り調べ起訴することは、凡そ不可能だからである。だから結局は、組織で対応してもらうことしかない。刑法に反することを警察が罰することができなくとも、組織の社内規定で対応することは可能だろう。
しかし、それすらない。そうなると被害者の無念はどこに向かうのだろうか。痛い辛い苦しい、そんな思いを理解してくれる環境が本来、必要だが、得られないどころか、場合によっては被害者はバッシングに遭う。やられたが負けでかけがえのない夢の居場所まで奪われるしかない場合もある。その時の悔しい思いを抱えては、前には進めないだろう。
分かってもらえない、行き場のない悔しさは心に留めることはできず、守秘義務なんかに抑え込まれることが出来るものではない。その気持ちはよく分かる。私自身が紙一重のところにいて、今も紙一重のところに立っているのだから。
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ただそれでも思う。被害者はマスコミに情報提供したことで救われただろうか。かえって要注意人物となり、居場所が一層狭くならなかっただろうか。
情報提供は悪いことではないし、良いことでもない。ただ被害に遭った方が前に進めるのであれば意義あることと私は思う。会社が理解を示してくれなかったのなら、情報提供しか手段がなかったかもしれない。無念に潰れるよりは、いたしかたなかったとも思える。きっと、相当悩んだ結果、行き着いた場所だろう。
そうだとしたら、加害者との約束を破る他ないのであって、そうまでした情報提供なのだから、被害者の哀しみが癒えたことを祈りたい。