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髪色に対する偏見から守って、自分の人生を邁進させてくれた先生

中学生の時、モデルの加藤あいさんを見て、まるでフランス人形の様にお美しいと驚いた。安室奈美恵さんや、華原朋美さん、浜崎あゆみさんのCDジャケットを見て、私もこうなりたい!と思い、単純に茶髪が可愛いと思い染めた。初めての髪染めで、なかなか染まらなかったからほんのり明るい程度の茶髪に仕上がった。
言ってみれば殆ど黒。
……………
昔から他人に無関心で人の反応に興味はなかったが、茶髪登校の日に周りが私を一歩ひいた目で見る。多数の人が同様の行動を取るものだから、私も周りをみた。

すると茶髪は私と「援交をしていた女の子」の二人だけだった。
また、クォーターで薄茶の髪の同級生は、黒に染めていた。
約20年前の公立中学はそんなところだったのだ。

だから私は、きっと要危険人物とみなされ、同級生からひいた目で見られていたのだろう。
しかし私は意に介さず「まぁいっか」と思い、数日過ごす。そして、急に担任の先生に呼ばれた。
……………
「あやと、勉強の息抜きか?頑張れよ。」私にはそれだけだった。
それどころか、その後、職員室で、私が書いた作文が法務局のコンクールで「奨励賞」を採ったからと、茶髪のままで表彰式に出させてくれた。
もう一人の茶髪の子には、怒鳴って追いかけていたのに、私には全くそんなことはなかった。

無論、これらの出来事は私のことが嫌いゆえの言葉かにも思える。
しかしその後、高校の参観日にまで来てくださり、テストの評価を下げずに受け入れてくれたことからも、
私には、先生が勉強と関係のないところで私の自由を拘束せず、やりたいことに邁進させて下さったのだと感じた。だからこそ「息抜きか?」との言葉を伝えてくれたのだろう。
……………
その後、高校では、髪が茶色いからと「AクラスからCクラス」にまで落とされた。

更に、大学では、髪が茶色いからと省かれたり、教授に説教されたこともある。
そのとき不思議だったのは、私を省いた人々は軒並み茶色になっていった。

大学院では全員真っ黒の髪で、全女子スッピンだったから、恐ろしく誹謗中傷を受けた。
まるで援交の女の子への中傷が再現されたかの様だった。
それが約10年前。
………………
今でも、自由な行動を縛られ、非難の目を向けられる度に初めて染めた日を思い出す。
他の全員と違っても、尊重してくださった先生。私の一番大事なものをなくさないように、生徒の前で「息抜き」と伝え、多数に認めさせてくださった言葉。

ルール違反していた中学生の頃は尊重され、ルールに違反しなくなった大学、大学院生のときは非難された。それはルールの有無によるものではなく、人の大事なものを守る思いやりがあったかどうかで決まるのだろう。
………………
既にあれから約20年経つ。それでも社会は変わらない。
同じを求める人々は、茶髪ごときを非難することを「多様性」と呼ぶ。すなわち、非難したいのなら、非難することが正義と言う意味。
更に、誰かが「違う」「おかしい」と非難したことに追随して非難する。

あの頃の私は、可愛いから髪型を変えただけだったが、茶髪を通して
人間の受け入れない悪と、守りたい良心をよく見ることができたと思う。
だから、どんなことに関しても受け入れてくれる人に出会ったとき、まず、「ありがとう」と感じることが出来るようになったのだろう。

髪を染めた日に気づいたことは、人生で成し遂げたい大事なものを守るため、髪色の自由を認め非難から守ってくれた人がいたこと。

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あやとりりい
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