選んでいるようで、決まっている。だから無理して状況を変えようとしなくてよい。
特注するコードバンの靴は、複数種類のデザインから選ぶ。好きなものを残すと、後は6種類程度になった。「絶対欲しい。」と思う靴もあったが、歩きやすい、染みができにくい、ヒールの高さを考慮すると、たった一足しかなかった。
私の下に来るべき靴は、選んでいるようで、決まっていた。必要なのは、自分が歩きやすい靴の要件を知っておくことだけ。
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どこの大学院に行くか。
私立も考えたが、定期試験と受験日程が被ってしまう。選択肢は旧帝京大学を受けるしかない。
結局、地元の旧帝京大学に決まっていた。
転職のときも、就職のときも、マンションも選んでいるようで選択肢はなかった。もう行くべきところが決まっていたかのように、自分に必要な要件を知っておくだけで、特別なことをしなくともたった1社、たった1部屋そこだけに導かれる。
何とか選ばれようと強引に頑張ると、インフルになったり、怪我や急性胃腸炎で動けなくなる。選択肢はあるようでないのだろう。
そう思うと、先々のことは考えず今、やるべきことだけをやっていけばよい。だからいつでも前を向いて、安心してやるべきことに専念していられる。
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結婚についても、これまで何度も何度もチャンスがあった。
結婚と、なった瞬間、親の反対で消えてしまうこと、
結婚と、なった日に台風でデートが中止になってしまいどうでもよい相手だと気がついたこと、
もう連絡取らないのかもなぁと思っていた相手とファーストフード店で再会したり、
婚約相手が医者だったときには、コロナで病院閉鎖となり会えなくなり、
私の努力によって状況を変えようはなく、どうしようもなかった。しかし、そんなときでも焦ることも迷うこともなく、安心して手放すことができた。自分の人生を歩む上で合わないなら、選択肢は放すしかないのだから。
他方で、気がついたら、その彼とは結婚しか選択肢がなかった。会うと楽しくて元気になるから、次またと会ううちに、決まっていた。
歩む道は、いつの間にか、決まっている。そこは私の意思に依るものではない。導きというか、自分を知った結果、結論が私を引っ張っている感じがする。選んだのは、自分の意思ではない。
しかし、どんなに苦しいときでも行くべきところに行き着くのだから、状況を変えようなんてせず、ただ自分がやるべきことを把握して、邁進すればよい。
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もしかすると運命や宿命という言葉が生まれたのは、理想を選んでいる気になっていても、行くべき場所が決まっているのだから、自分の人生を生きていくしかないという思いを言葉に変換したからかもしれない。
だから今いるパートナーは、選んでいるのではなく、決まっていたようにも思う。自分は、結ばれるために強引な何かを、一切せずに、いつも通りの自分でいたのだから。
こうやって、引っ張られた相手がいる理由が、
私一人では経済力がないから、ではなく、
パートナーがいないとメンタルが安定しないから、ではなく、
子供をつくる目的だからでも、
さみしいからでもない。
ただその人と一緒にいたいと思う結果、結婚が決まっていたことを嬉しく思う。いつも通り、変わらない自分で、やりたい仕事に邁進しながら、好きな文書を書き、資格をとり、みたい絵を見て、大切な友達に会う、人生が自分の人生を生きている結果、導いたパートナーといられることは、私にとってこの上ない幸せ。
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入籍の今日の思いを忘れないように、noteに書いた。