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言葉を知らないと戦えない

周りの顔色を窺い、嫌われない表現を選ぶうちに自分の思いを伝えられなくなっていた。
「あなた自身から意思は感じるけど、言葉になっていないよ。言葉を知らないんじゃないかな?」
と、管理職研修で言われる。
確かに、雰囲気に呑まれ、自分を遠慮し、個性を見せぬように生きてきた。結果、私は言葉がない生き物になってしまったのだろう。
……………
言葉は政治力がある人が使うからこそ、意義があると思い込み、それを認めてきた。例えば、社長や総理大臣が「女性活躍」と言えば意義があるが、私が言ったところで「何様?」となる。
さらに言えば、私が「女性活躍」と言えば、自分が優遇されたいの?となるのが関の山である。

世の中、何を言ったかではなく、誰が言ったかで判断され、迂闊にも政治力のない自分が言えばお調子者と扱われる。
仮に良いことを言えば、私ではなく別の人が言ったことにされかねない。
政治力のない自分の発言は、口は災いのもとと、引いて発言を諦めていた。
……………
もっとも言わなくとも能力を評価してもらい、自分の居場所が出来て、自由な心で生きていければ良いだろう。
しかし、くちなしには、他人のストレスの捌け口的立場がついて回る。だから、政治力がなくとも伝えなければならなかった。そして、政治力がないからこそ、人よりも適切な言葉で、正確に伝えなければならなかった。

私は状況に合った言葉を使えていなかった。だから自信がないと言われてきたし、今回は言葉を知らないと言われてきた。
………………
言葉を知らないと戦えない。
私は自分が使うべき言葉を知っていなかった。

世の中、能力よりも好きな人が選ばれる。
だから、後何百年も誕生しないだろう実力者たる大谷翔平選手の目標のうちの1つとして「運」や「人間性」を上げている。
ならば比較にすら値しないただの市民には、能力を発揮する環境を得るために一層、「運」を高くする努力や、選ばれる「人間性」が必要で、
そのための道具として言葉は不可欠であろう。

私は道具を手にすらしていなかったのだ。そうであれば、活躍する環境が遠のいて然るべきだったであろう。
………………
noteを始めて1年半経つが、書き続けてもなお、自分を伝えることが出来ていなかったと身に沁みる。
自分が活躍するための環境を手に入れるためには、言葉で戦うしかない。
言われるがまま、思われるがままの自分になることで、人生を諦めることとならないように、私には一層の学びが必要なのだろう。

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あやとりりい
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