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ドタキャンされた方は、比較衡量して納得するのではない

「子供が泣きやまないから遅刻します。」
ランチの待ち合わせ時間が過ぎても来ない友人の1人からのチャットに、その場の皆が、
「早く言ってよ。」「はじめから来ないでくれたら良かったのに。」と不機嫌な顔を見せる。
確かに、子供は何にも代えがたい存在。だから小学生のご機嫌は、全員が集まれることが数年ぶりの友人のランチより大切なのだろう。しかし、1時間も遅刻された私たちにとっては、ただ遅れて来ただけの人で、「また遅刻」とのレッテルを貼る。彼女にはより大切なものを選んだのだから皆理解してくれるとの期待があるだろうが、人は人の都合を比較衡量しない。
ただ自分の時を消費されたとしかみないのだ。
……………
「仕事が終わらなくて遅れます。」
恋人からのチャットに、それなら平日の約束はしないで欲しいと既読スルーをする。遅刻しないために、フレックスで早く業務を開始し、間に合うように努力した自分が虚しい。彼にとっては仕事なら数時間遅れるのも仕方ないのかもしれないが、私にはただ待たされて不快との感情しかない。仕事とディナーの重要性の比較衡量とはならないのだ。

それが続き結果、冷めた私は帰宅する。
……………
人の気力や労力には上限があって、出来ることは限られている。だから、優先順位をつけざるを得ないが、それは相手も同じことで、約束を破ったり遅れたら、努力が無駄だったとしかならない。相手の都合>自分の存在と納得するものではない。

引っ越ししたてで服が見つからずカジュアルな格好となってしまったが、遅れまいと必死で待ち合わせ場所に到着しても、考慮はしてもらえない。「忙しいのに頑張ってくれたんだ。」とはならない。ただ美に欠けている女性と見られ、「その格好、どうしたの?」となる。

夕飯の支度のために仕事を切り上げて帰っても、「帰って来てくれてありがとう。」ではない。「早く準備してよ。お腹すいた。」と駄々をこねられる。

他人の事情は、自分の時間を奪われたり、理想を覆すやむを得ないものにはならないのだろう。
……………
「子供が泣くから仕方ない。子供ってホント何するか分からないから、見ていなきゃいけないの。」
と、全員がランチを終えて帰ろうとする中、食事を始めた彼女に同意する者はいない。皆、「いつも通り遅刻の言い訳だよね。着飾る暇、あったのだから早く来てよ。」と久しぶりのお出かけに浮き立っているかのような彼女の様相を見て、白ける。

小学生の頃、私は1人で買い物も留守番もしていたよな。と私も昔を回顧する。
子供のせいにするのではなく、「子供ともう少し一緒にいたかった。」と言うのならまだ可愛いのに。と私は感じる。

そんな他人の思いはどこ吹く風で彼女はいつものように、
「本当はみんなと早く会いたかったのに、子供のせいで、最悪。」
と笑顔で話す。

誰も子供とランチの待ち合わせの重要度を比較していない。皆にとって彼女は、ただ皆で合わせた数年に1度の貴重な時間を奪ったに過ぎない人でしかない。
彼女の最優順位を分かってもらえる期待は届かず、言葉を話す程に皆の心から彼女が居なくなっていった。

誰も自分の存在が下になる言い訳を、仕方無しとは思うことはない。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)