自分だけの色を
会社や学校を変えたり、所属する組織を変更したり。環境を変えて、そこに合わせて、合わなくなったらまた動く。それもまた要領のよい生き方だろう。
しかし、私はどこにいても、誰といても、私で居たい。私だけの仕事をしたい。その仕事で組織や世の中に貢献し、居場所を作っていきたい。
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カンニングは出来ないから試験会場には、文具以外を持っていけない。しかし、自分の身体は持っていける。だから、全てを骨に刻み込むことにした。
朝6時、起床後2限までの3時間、カフェでアルバイトし、大学の講義が終わってから勉強が出来るのはわずか数時間。土日は朝から夜まで携帯電話の販売を行った。休みなんて1日もない4年間だった。唯一、インフルエンザになった時に、「やっと止まる」と思った。
平均勉強時間、10時間/1日と言われている中、他学部から受験する私に許された時間は、その4分の1しかなかった。だから、何度も繰り返し読むべき判例や条文を、私は1度しか読む時間がない。
どうするか?
自分の人生を諦めることの方が、1度で覚えるよりも難しかったから、1度で覚えることにした。
「1回で覚えろ。」
と、眠りたい自分に叱責し、骨に書き込むんだと、集中した。私の2倍もの体重がある彼氏と、同じ量のご飯を毎食食べたが、私の体重は小6の時と変わらなかった。
「フードファイターになれるよ。」
彼氏や友人に言われた。食べても食べても太らないほど、集中することにカロリーを使った。頭に血流がいくと、末端には血が通わない。指先にはイボがたくさんできた。
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そうやって、全てを骨に刻み込むうちに、記憶していくことが早くなる。なぜなら、判例の考え方の基本的部分を理解し始めたから。事案を読むと、次を読む前に結論とそれを導くロードが浮かぶ。先を読むと、「やっぱりね。」と思った。
まだ判例のない事案を解く。自分で書いた論文は、数年後に判例が出来ていた。私は抜かす事が出来たのだ。
そう、学ぶことは、物事の基本的部分を理解することなのだと知った。
しかし、それは当然だろう。なぜなら、人と向き合って、分かり合うことは、相手の考え方の基本的部分を知ることなのだから。そして、その芯たる基本的部分は、その人の正義で、変わることはない。とすれば、そこを理解すれば、次を読むことができるのだ。
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考え方の基本的部分を理解出来たら、後は量を熟すだけだった。
条文も読む前に、次に何が書かれているか分かったし、応用問題の答練では基本をブレずに書くから成果は当然で、全国1位もとった。それでも自分の思考回路を、判例や法の趣旨目的に従った回路に変えていくことは、苦しかった。自分の意思を出さず、他のものに従わなければならなかったのだから。しかし、「お前の意見は聞かれてないぞ」と自分を制御し、決してブレないと、強い思いを持った。
もちろん難題にぶつかる事もあった。その時は寝る前に問題を読む。そうすると、眠っている間に解くことが出来て、朝にはスラスラと答案を書き終える事が出来ていた。
試験当日の喜びは忘れられない。もう判例に従わなくてよい。今日は好きに自由に書けると思うと、解放された嬉しさで涙が出た。
当時、5から10倍ともいわれていた旧帝京大学の法科大学院に現役で合格出来たのは、判例に従う義務から自分を解放した先も、私の思考回路が判例になっていたから、結局判例に従っていたためだろう。
勉強は時間ではない。基本的部分を理解するか、否か、それだけだった。
…………
私の骨には今も何万もの判例と法の趣旨目的が刻み込まれたままで、トラブルがあった時には血としてその知識か脳に運搬され、解決する。この手に入れた思考回路は、絶対のものだと言い切れる。
他人と話をしていても自分の意思はブレない。言っていることがいつも違う、コロコロ変わるは、決してあり得ないことなのだ。
そして、仕事のやり方も変わらない。なぜならどこに行っても、判例や法の趣旨目的に従った思考回路に基づいていれば、導かれる結論は、妥当なものとなるのだから。こうして、どこの会社に行こうが、私がやっていることは変わらないにもかかわらず、組織に居場所を作っている。
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勉強は、自分の回路を修正していく作業だから辛いだろう。私もいつも「脳みそが溶けそう」と思っていた。しかし、そこで手に入れたものは揺るぎのないもので、結局、全て自分に返ってくる。どんな時代になろうと、どんな組織に行っても自分だけの色で生きていけるという、ノウハウをもたらしてくれた。
それは、考え方の基本的部分を理解し、相手の思考回路を手にいれる勉強法をやり続けたからだったからである。