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有名人だから許されるかどうかではなく、実行行為を行ったかどうかで判断して欲しい

「りりいちゃんは来ないで。」
当時、Y社で芸人のマネージャーをやっていた友人が、招待席でお笑いライブ観戦をさせてくれた後、食事会の前に私を帰す。
「何あるか、考えて。美味しいご飯食べて終わりってあると思う?」
と。

この時、VIPでも、ただのファンたる市民を餌食にすることがあると知る。
……………
仕事の会合で知り合った某テレビ局のアナウンサー。懇親会の時に、突然私の両胸をつつき始める。
「辞めてください。」
と言うと、
「冷めるわ。」
と言われたので、
「明日、取締役会で早いので。」
と言って帰ろうとする。すると今度は、腕に手を回し、腕組みをしてくる。辞めてが通じない。

この時、仕事中であろうと、有名人ならばは市民に手を出して良いと思われていると体験した。
……………
危険から回避したことも、触られたことも、ある。恐ろしいのは、一般ピープルの私が、まさか有名人や大物に気を留めてもらえるなど、ゆめゆめ思わない中で、普通に会話しているときにそれが行われること。仕事中に触られることすら許されていた。

人に話せば、「良かったじゃん、可愛いって意味だろ。」と言われ、解決策なんてなかった。
仕事の懇親会での出来事を伝えると、「なら、りりいさんが業務から抜けたら?」となる。

そうして、「やられる方が悪い」と言う長いものに巻かれ、声を上げることはできなかった。こうして「嫌だった」「辛かった」思いは10年経っても残る。
……………
真偽はわからないが、仮に有名タレントが、女性が自由意思の決定を出来ない状況下で、身体に触ったのであれば、ただの性犯罪。犯罪は行為毎に成立する以上、たとえ後輩の育成や秀でた才能があっても罪責は変わらない。

同期で弁護士になった男性が、大勢の前で私のスカートをめくりあげ、パンツ丸出しにした。無論、同意どころか会話すらしていない。
しかし、その場に存在していたというだけで、私が許可したとの主張が通ってしまう。もっとも正確には、「やっていないけど賠償金払うから許して」との主張であった。

全く理解できないが、世の中、「その場にいたことが悪い」と、存在を否定する主張選ばれることもある。行為がない以上、悪いとはならないのが法であるのに。
………………
素晴らしい才能がある人間は、その才能に惚れた人をセクハラ対象として良いのだろうか?
才能に惚れた人は、才能ある人だから決してセクハラをしないと信用して付いていく。それを鴨としてよいのだろうか?

誰もが知るタレントだから、一般ピープルは会ってみたいだろう。しかし、その時、わいせつ行為があったとしたら、パワーのないやられた方は口を閉じるしかないのだろうか。
やられた時の苦悩を生涯抱えたまま、生きさせてよいのだろうか?やったほうが有名人だから、許されるとなるのか?
………………
一般ピープルで普通の会社員の私にでさえ、セクハラはあった。それも、1度や2度ではない。
相手が弁護士やタレントなどの社会的地位を持つ者のこともあった。

犯罪が許されるか否かは、社会的地位の大小で決まるものではない。
また何年経ってもあの日の苦悩は消えない。
仮に真実だったのなら、時間が経ってからであっても声を上げた勇気は、尊重すべきもので、
見ず知らずの他人が、加害者が残したお笑いの偉大さを理由に被害者を非難するものではない。
……………
私は、あの時、業務を辞退するしかなかった。訴える勇気なんてなかった。被害者バッシングもモンスター社員扱いされることも怖かったから。

だから、真偽はわからないからこそ、せめて「あった」との主張を私は非難したくない。そして、何かあったとすれば、当該行為は犯罪で、有名人だから許されるものとはならない。

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あやとりりい
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