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誰にも干渉されず、ただ外を眺めていることが楽しかった。仕事帰りのカフェ。

仕事終わりの帰り道、このまま家には入れないと思った。待ち遠しかった新たな職場での仕事は、悲しいことも沢山あった。気を置ける人もいなかった。
折角転職し、東京に出て来たのに、成果への非難は、理由を聞いても教えてもらえない。
業務の方向性を聞いても応えはない。
来たばかりだったから一日中「ありがとうございます」と「すいません」を繰り返し、心を削った。

今思うと、上司は何をどうしたら良いかわからないから方向性を示す能力がなく、重箱の隅を突くように悪いとこ探しをするしかなかったのだろう。
当時はそれを誰にも相談出来ず、理解もできず、意地悪いなぁと心に貯めていた。

こうして、ただ「はい」と飲み込んだ分、身体は重かった。
………………
駅前のデパート2階のとあるカフェは、帰宅時間には窓側席がいつも空いていたから、そこを指定した。どこに座っても良いとの案内は、有り難かった。
窓から見下ろす景色は、青信号になると一斉に人が渡り、赤信号になると一斉に人が止まる。
「人がすごく沢山いるなぁ。」ただそうやって眺めていた。加糖のアイスコーヒーを飲みながら、「あの人なんであんなにキレているんだろう。」と会社のことを思い返していると、解のない問を解いているよう。段々眠くなる。
1時間くらい経つと「ここで眠る前に帰らないと」と思う。お家に着くと憑き物はコーヒーに溶けたように落ちて空になっていた。

それを毎日繰り返した。寄らずには帰れない、寄るために会社に行く。コーヒーが楽しみだから、職場では1日たくさんのことを熟した。
コーヒーを飲みながら外を見るときを過ごすために会社に行く。物思いに耽ることが支えであり、楽しみであった。

しかし、気づいたらそのカフェに通わなくなっていた。それはキレる上司と関わらなくなっていたし、話す相手も出来たからかもしれない。
…………………
それでも好きな店と聞いたら、あのカフェを思い出す。
ただただ同じ場所で人を見ているアフターシックスは、約3か月ほど。
普段の私は、毎日同じところに行きつくことはない。顔見知りになるのが苦手なのだ。にもかかわらず私が定着したのは、あの店が、退場を促さず、顔見知りになっても程良く放置してくれ、好きなところに座らせてくれていたから。

転居しその街からも離れた今は、別のカフェに行くこともある。
しかし、店員さんと顔見知りになると、
一緒に行った友人にはポイントなし、
席はカウンターのみなど、
小さな干渉が始まる。
「今日は1人?」と聞かれた日から、行かなくなった。なんだか居心地が悪くなったのだ。

あのカフェは、客席には間隔があり、店員さんとも距離があり、座る場所も自由にさせてくれた。だからきっと、人がいるのに一人になれて、人がいるから一人じゃなくて、窓の外を眺めているだけで、憑き物が取れ、帰宅路につけたのだろう。
遠くから聞こえる雑談やコーヒーの香りが削れた心を満たしてくれていたのかも知れない。

あの頃の私は本当にあの時間が楽しみだった。あの席が今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。
……………………
カフェでは、
座る場所で、他のお客さんとの関係ができ、心が休まらないことがある。
店員さんと顔見知りになると、ポジティブにもネガティブにもなる。誰にも気を遣えないほどくたびれたからコーヒーを飲みたいときは放置が嬉しい。

私があの店を好きなのは、色んな感情を持ちながら生活している中で、何にも気を遣わず、静かにコーヒーを楽しめたから。あの場所は、本音を隠していた自分が、自由気ままな自分に戻り、帰宅につけるまでに回復する時を与えてくれていた。

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あやとりりい
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