アクマのハルカ エピローグ 生物教師として残したいものがある。
一
暑い。盆地は熱が籠もると聞いてはいたものの、ここは恰も蒸し風呂の様で、たまに吹く風はロウリュウの様に全身を汗だくにする。「盆地、見くびっていたわ。」と香月麻莉亜(こうつき まりあ)は思った。
都心から約1時間、新しい赴任地はやっぱり女子高だった。
あちこちの大学から助教授の座で来て欲しいと誘われたものの、麻莉亜は生物の先生でいたかったから、心置きなくお断りした。
三
テープ起こしの会社に依頼し、盗聴された音声を文字にするのに1ヶ月もかかった。盗聴はトイレやスーパーでも行われており、生徒たちの会話は極悪非道な罵詈雑言でしかなかった。
学校側は警察にも届けたが、麻莉亜は告訴をしなかった。麻莉亜の退職後もネットへの書き込みや誹謗中傷が続けば即効告訴するので、今後一切「香月麻莉亜」の名前さえ出さないとの内容で示談をし、それで終えた。
その後、奈津美(なつみ)はイギリスへ留学し、叶海(かなみ)は停学中で社会貢献活動をしていると聞く。紗也佳(さやか)は談笑や無視をしていたものの、具体的行為がなく反省文で済み、相変わらずタレント活動に邁進している。自主退学を選んだ真弓(まゆみ)は、大検に挑戦するらしい。悠(はるか)は、入院中とのことだった。
その他多くの生徒も数ヶ月から半年の停学となっている。
四
麻莉亜は、自分への誹謗中傷や嫌がらせを当然知っていたし、嫌がらせの原因が自分ではなく加害者たる彼女たちの心にあることも気づいていた。しかし、生物の授業と生徒との交わりを分けていたため、悪を見逃していたのだ。
辛かったよな、自分と思った。
これからは生物の授業とともに、進化や生きていくために必要なことを少女たちに伝えていきたいと思う。それは麻莉亜自身が二度と被害者にならないためでもある。
ようやく日陰に入ったから、麻莉亜は日傘を畳んで、右手をサンバイザー代わりにし、空を見上げた。
雲の中で光が散乱すると、光が目にとどくまでの距離が、光が散乱しないときよりも長くなる。距離が長くなればなるほど、散乱しにくい赤い光だけが残って、空が赤く染まる。光源たる太陽光が日中よりも赤くなった夕空は、マジックアワーと呼ばれる美しい一瞬の時を迎える。
あの瞬間は魔法の空と呼ばれる時だったのかも知れない。
一息ついた麻莉亜は、再び日傘を広げ、歩き出した。そこは、雲ひとつない快晴だった。
「第8話に登場した ノーベル生理学・医学賞を受賞 故ジェラルド・モーリス・エデルマン氏」を除き、作中の登場人物は全て架空の人物であり、作中の出来事は作者オリジナルのもので参考文献は下記の1冊であり、その他はありません。
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※参考文献
邦訳 「脳から心へ―心の進化の生物学」ジェラルド・モーリス・エデルマン 金子隆芳 訳 新曜社 1995年
第8話 「人の進化には心というものの存在があったのではないか」という研究を指摘する箇所の部分は上記文献を参考にしています。
(アクマのハルカ エピローグ 生物教師として残したいものがある。 了)