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真夜中のパン作り

こんばんは。初めまして、何にも縛られず生き続けている者です。少しだけ知らない人のお話にお付き合いしていただけたらありがたいです。

この前に感じるけど4月8日に行った広島旅行は良かった。呉市の坂道が特に良かった。家と家の間の道とは言えないような道がすごく良かった。迷路が大好きだからRPGの大冒険のリアル気分が味わえて良かった。良かった言う語彙の無さを責めないで欲しい。
夜景が映画と似ていてとても味わえた。怪しいバスも何もかも良かった。彼もさりげなく楽しんでいるようで、、、彼はいつもさりげなく楽しそうだけど。
この前と言う名の6月25日には地元の隣町の蒲郡の西浦温泉の頂上にあるようなホテルに泊まった。西浦自体は晴れて爽やかな風が吹いていて日差しもビシバシ眩いほど降り注いでいた。テトラポッドを眺めながら小石を投げたりした。荷物が重くて喧嘩はしたけどなんだかんだ楽しく終えた。
彼を豊橋駅に送り私は実家に帰ってのんびりした。
お母さんは顎がステンレスで再手術をしてガーゼとテープを首につけている。
お母さんの弟が倒れてしまい、緊急入院だと聞いた。面会謝絶であった。後ほど状況を聞くと腎臓を取ってしまい週に透析を10時間ほど?を3回も受けなければならない身体になってしまい、お母さんは弟に必要な書類やサインをしにバタバタしていた。
お母さんの姉は、最近子供を亡くしてしまっています。私はまだ会うことも出来ていません。従兄弟の死は私の死でもありおばさんとお話ししてお墓参りができる日が来るまで待ちます。
私のお姉ちゃんの長女が不登校になったことでお姉ちゃんが悩みに悩んでメンタルクリニックに行くようになったそうです。私の行きつけの変人だけど面白くて優しい先生を推しましたところ行ってはみたけど受け付けない系であったと母より聞きました。

彼女彼たちの身に起こったことは幻のようであり、欠けてしまった身体や心を治すために生きている。人は死には抗えないし。不登校のように止まってしまった時間も過ぎてしまった時は戻らない。

私は去年の10月から週に1度もしくは2度しか働いていない。

4月から彼の何かの焦りからか彼が探してきた不妊治療の立派な病院に通うようになったりもした。歳も歳なので体外受精を大金を払って何度も手術しないといけないのは嫌だと今は言っている。旅の途中で不妊治療は怖いと伝えた。なかなかの喧嘩になったけど海と山の大自然のおかげで私たちは冷静に話し合いが出来て健やかに旅行も楽しめた。

不妊治療するのだったら、テレワークができる仕事をしたいなと今頑張ってまた職安行こうかなって考えている。

こんなにつまらない何の特にもならない話を読んでいた人がいたとしたら優しい人だと思います。

最近はヨルモリと言うズームだけ2ヶ月に一度くらいあまり知らない少しだけ知ってる主催者はアル中でダラダラ話すだけなので参加している。

うちに篭りながらも社会と関わって立派な女になれる日が来ないかなって祈り願っている。

立派な女になりたい。それは、誰も知らない細井仙人が私が東京に行くときにくださった言葉であった。基本干物女ではあるが期待に応えたい。

細井先生は2年前頃にお亡くなりになっていた。お歳は80代後半もしくは90代だと思う。知らぬ知らぬうちに居なくなってさみしい。

死ぬ時に私のことを思い出してくれる人は存在するのか。死んだあと身体の無くなった彼女彼に人権はあり続けるのだろうか、、。ずっと私たちは一緒に居続けれるのだろうか、、。


お父さんは、私を許してくれるのだろうか、、、

私は許したい。

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