コミュニケーション障害とコミュニティ障害傾向・コミュニティアレルギーとも呼ぶ。
簡潔に。
コミュニティに入るといじめや価値観の押し付けや同調圧力などが生じる場合がある。私はそのような行為は全て苦手である。なので、模索しようと思った。
きっかけはzoomと言う世界が現れたこと。
zoomの中には明確なコミュニティが発生することが可能である。コミュニティには入ることはできるしコミュニケーションを取ることは可能な種の人間の集まり。
また、SNSのLINEやメッセンジャーにもグループ機能が付いていて、突然コミュニティに入ってしまうこともある。そのようなことが起こるのはコミュニティ信者がいるからだと思う。この世にいるコミュニティ障害傾向・コミュニティアレルギーがある人がいることを認めないある意味無視している種の人間の集まり。
コミュニケーション障害、コミュニティ障害傾向・コミュニティアレルギーがある人間は立場が弱いことが多い。話すことができなければ社会の中に入ることが出来ずに飢え死に一歩手前だからだ。
少し前まではそのような存在もマイノリティだったけど今はコロナ不安も煽りコミュニティ障害傾向・コミュニティアレルギーであることが普通になってきてる気がする。この時、コミュニケーション障害はコロナ不安とはまだ無関係であることにする。
だが、コミュ障と言う言葉は長きに渡り定番になってきたと思う。コミュニケーション障害の略である。世間のコミュ障と呼ばれる人はコミュニティ障害傾向・コミュニティアレルギーだと思う。
実際のコミュニケーション障害と言うのはコミュニティ障害傾向とは違うと思う。コミュニケーションを取るときに生じる発語や意思疎通などに困ることだと思う。話すことが出来ない緘黙の方や自閉症などで意思疎通が難しい場合に使われるものであるべきだ。
コミュ障はメンヘラごとく若者言葉であり最近ではHSPの繊細さんなど病院に行くまでもなく自身そう感じると言う時に使われる。
なのでコミュニティが苦手でアレルギーのように湿疹が出来たり心がゾワゾワしてしまったりしてコミュニティに入れず引きこもりなどが逃げ道の手段になっている場合はコミュニティ障害傾向と勝手に呼んでいる。
コミュニティアレルギーとも勝手に呼んでみたい。
コミュニケーション障害と言う緘黙などの症状や知能の遅れなどから生じる不安なども考えていきたいなと思う。これらは分類した方が分かりやすくなると思うし、私も考える過程で何か発見があれば良いなと思う。
ひとまずここまで。言葉は気分であると思う。感じたこととはっきり診断を受けることはまた別であるが自由であることも大切にしていきたい。
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