Bishwashプロジェクトを始めました
Bishwashプロジェクトを始めました。
「Bishwash」とは、ネパール語で「信じる」という意味です。
「びしゅわっしゅ」と読みます。
Bishwash。
こういうことが出来たら良いなとぼんやり思い始めたのが2年前、
信頼している方々に相談し始めたのが1年前、
Bishwashで是が非でも紹介したいネパールのNGOを訪れたのが6月、
翌月にネパールから飛び、同じく紹介をしたいインドのNGOを訪れました。
Bishwashは自分自身のような、姉妹のような
とにかく共に成長していく、そんな存在のように感じています。
始めたばかりですが、今後「こうありたい」という姿を想うとワクワクします。
Bishwashのコンセプトは、
「人身取引(性的搾取)の被害に遭ったアジアの女性たちが、再び自分を信じ、愛する手助けとなること」
です。
人身取引。「人身売買」の方がよく聞くかもしれませんが、
ここでは政府訳の「人身取引」を使用します。
国際条約上の正確な定義は外務省のページで閲覧可能です。
何を人身取引とするか、それぞれの国内法でも少し解釈が違い、それが原因で色々と国際的な議論が難しい問題でもあります。
人身取引でも、強制労働や臓器売買など被害形態は様々です。
そんな中でも私が扱うのは性的搾取の問題です。
なんとなくご想像いただけるように、
自分の意志とは反して、売春宿(もしくはそれに近い形態の場所)等で強制的に働かされている女性たち
とまずは理解していただければと思います。
この「強制的」の背景、その程度やプロセスは個人で違い
例えば問題が明るみに出たときの刑事裁判でも、強制だった、強制じゃなかった、と争点になりやすい部分です。
人身取引(性的搾取)で行われているすべての行為は性暴力です。
女性たちの意志に反し、不当な借金を背負わせ、逃げ出せない状況を作り
女性たちは劣悪な環境で性行為をしなければならない。
安い店だと、一日30人以上の客を取る女性もいます。
一日30回の性暴力を受ける、ということです。
性暴力は物理的に身体を傷つける、HIVの原因となる等
身体的な影響ももちろんですが、
心理的な影響は女性たちの生涯に渡って続きます。
そうしなければいけない状況だったにも拘わらず
女性たちは性暴力の被害を受けたこと、何百の男性と性行為をせざるを得なかったこと、その事実に、自分自身を否定し、受け入れられない生活が待っています。
女性たちの多くは、自傷行為や、実際に自殺に至ってしまう女性もいます。
自分自身を否定することは、自分の将来にも関心がなくなり
投げやりになり、薬物に依存する女性たちも多くいます。
売春宿を抜け出して帰国をしても、家族に受け入れを拒否されるケースも多くあります。
貧困を理由に家族に売られた女性も多くいます。
アジアにはこうした女性たちが多く存在します。
アジア全域では年間60~80万人(労働搾取や臓器売買、性的搾取すべてを含む)、
ネパール(性的搾取)だけでも1.5万人の女性、女子児童が、毎年国境を越え
売春宿へと売られていきます。※World Vision “Human Trafficking in Person (2007)”
そうした女性たちをサポートするNGOがあります。
例えばBishwashでも紹介しているインドのRescue Foundationは、地元警察と共同して、売春宿の摘発時に一緒に突入し、隠されている女性たちをレスキューする活動を実施しています。
助け出された女性たちはNGOの提供するシェルターへ保護され
メンタルケアだけでなく、職業訓練や読み書きの勉強を受けることができます。
その職業訓練として、いくつかのNGOはジュエリー作りをしています。
女性たちによって制作されたジュエリーは販売され、その売上はシェルター運営費や質の高い支援へと使用されます。
Bishwashはささやかながらも、そうした団体の紹介ページとして機能し、
日本人の購入を促進することで、彼女たちの支援に繋げることを目的に立ち上げました。
6月にネパールの団体を、7月にインド、9月にタイの団体を実際に訪問し、直接話をお伺いし、プロジェクトの主旨を説明し、ぜひ紹介させてほしいとお願いをしてきました。
なぜBishwashを立ち上げたのか。
私自身も彼女たちと一緒に、自分を愛し、希望を持っていきたいからです。
私の経験は以前朝日新聞に掲載いただいた通りですが、
当時はそんなつもりはなくても、振り返るとそれから17年、
サバイビングしながらここまで来たように思います。
その経験をきっかけに抱いた自分に価値がないと感じる心は、
自分自身の心も身体も痛めつけて良い、
悲しさや辛さに自分が値すると思うようになりました。
6年前から定期的に受けているカウンセリングは
先生を変えたり、効果を感じたり感じなかったりというプロセスを経ながら、
私が12歳の頃から構築できていなかった心の何かに、今ようやく、17年ぶりに向き合い、育てているような感覚があります。
そんな時に立ち上げたBishwashと共に、
私自身も自分の中に、温かく大切なものを育んでいきたいと感じています。
進んだり、時に立ち止まって苦しんだり。
今もふと、自分には愛される価値がない、
これからも愛されることはないと思い、涙が止まらなくなるときがあります。
それでも私が幸運だったのは、
教育が保障される日本という環境に、
そしてその教育をもっともっと受けたいという希望を叶えてくれる両親の下に生まれたことです。
そして私はこれを、良い意味では恵まれた環境だったととらえているし、
別の意味では「特権」ととらえています。
違う環境に生まれていれば自分自身、どうなっていたか分からない。
もしかしたら、子どもの売春をアンダーグラウンドに斡旋する人間になっていたかもしれません。
自分が味わった苦しみを、他の人間に遭わせて、自分が奪われた力を、もっと幼い弱い立場の人間から奪う人になっていたかもしれません。
実際に、売春宿の管理人は、元々自分が人身取引されてきた女性がしているケースも多いのです。
大学以降のアカデミックな学びは私に精神的な安寧を与えました。
社会科学の一つであるジェンダー学と出会い、
性暴力の被害者は悪くないこと、被害者の心の動きが自分にそっくりだったこと、そこから立ち上がり、次の世代に同じ問題を残してはいけないと戦っている人がたくさんいること。戦えなくても、日々サバイビングしているだけでも素晴らしいということ。
自分の存在を否定してきた私自身を
こうしたアカデミアの言葉が「あなたは悪くない」と、
ずっと誰かにかけてほしかった言葉を証明してくれているようでした。
大学、大学院へ行くために私は努力をしましたが
努力ができる環境がそこにありました。
ごく一般的な労働者の家庭で、裕福ではありません。
でも両親は私を売りはしないし、
義務教育を当然に受けさせ、勉強するための部屋があり、
外国の大学院に行きたいという希望も理解してくれました。
もし私が別の国に生まれ、子どもを売らなければいけない、
それを防ぐためにせめて公的支援を求めるという情報や知識を持ってない両親の下に生まれていたら。結果は全く違っていたと思います。
20歳で初めて外国に出たあの日から。
「たまたま」の特権を目の当たりにしてきました。
たまたま日本に生まれた、たまたま今の両親だった、たまたま義務教育が当然だった。
でも、だから「特権」に恵まれた私が手助けして「あげる」のではありません。
6月にネパールの団体シャクティ・サムハを訪問した際、
代表のチャリマヤさんとお話をしました。自身も人身取引のサバイバーであり、自身を誘拐したブローカーを当時被害者の中で唯一刑事起訴した人物です。
今もそうですが、当時のネパール社会で(そして日本社会でも)、
自分がそのような被害を受けたことを公にし、
法的措置を取って相手と戦うというのは
被害者にとって想像を絶する苦悩やストレスを伴います。
しかしチャリマヤさんはその後も、同じくサバイバーを支援する団体を立ち上げ、以降1000人以上の女性たちを支援してきました。
チャリマヤさんには到底届かなくとも、
私自身も自分の心を見つめ、癒し、再構築するプロセスにいること。
そういう意味で、団体に私が投げ出さずに責任を取れる範囲でサポートを始めたいこと、サポートしながらも、Bishwash自身も女性たちの伴走者であるということ、そのことを大切に、自分ができることをしたいと思い
Bishwashの立ち上げに向けて進めていくことを決めました。
Bishwashが、ウェブサイトで紹介している団体に支援を受けている女性たちと共に
過去もすべて含めて受け入れ、自分の存在や力を信じ、少しずつでも歩み続ける存在となること。
女性たちがそのプロセスを経験しながら、また自分自身を愛し、将来に向かって進むときの伴走者となり、共に成長していくこと。
女性たちが自分自身をまだ信じることができなくても、
Bishwashは女性たちのすべての可能性を信じていること。
その一つ一つが、女性たちの穏やかで愛に溢れた未来をつくる。
そう信じて、Bishwashを立ち上げました。
皆さんが大切な人へ贈り物をするとき、
自分へ特別な贈り物をするとき。
人身取引サバイバーの女性たちを強く支え続ける同じ女性たちを
過去の傷に向き合いながら、一日一日を生きている女性たちを
そしてBishwashを思い出してくださると幸いです。
Bishwash 2023.2.6
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