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1型糖尿病と生きる 私のこと。

私は12歳で1型糖尿病になりました。

約28年ほど前。

小さくて痩せていた私が糖尿病?

子供だったので小児糖尿病という病名でした。

小児になったのでずっと小児糖尿病だと

思っていたけど、今は病名を書くときや、

伝える時は1型糖尿病って書きます。

違いがよくわからない。

発症が小児ならずっと小児糖尿病?

成人になっても小児糖尿病って言うのかな。

なんとなく曖昧です。

当時、長期(7ヶ月)にわたり入院して、

インスリンコントロールを習得するため、

病院に付属する養護学校に通っていました。

病院と養護学校ではイジメもあり大変だったなぁ。

同じように1型糖尿病の子供、

難病や重めの病気の子。

常時15人くらいは、

病院に入院しながら通っていました。

でも、だいたいはある程度過ごし、

病状が落ち着いたら退院します。

普通の生活へ戻る為の訓練のようなもの。

人間関係で入院がけっこう辛かったので、

外泊とか退院が待ち遠しかったな。

退院して学校へ戻ると、みんな優しくて嬉しかった。

私のこと忘れないでいてくれてありがとうですね。

学校へ戻るには病気のことを理解してもらう必要があったのですが、

1型糖尿病が当時めずらしい病気だということ、

大人でも理解するのが難しいのに、

中学1年生でどこまで理解できるのか、

周りから好機の目で見られたり、

差別されるのではないかという

親の心配によって

学校の先生だけに伝えることになりました。

この判断は正解だったかどうか、今でもわかりません。

とにかくひたすら「隠す」というのはとても負担でした。

もっと幼い子供なら隠し切れないと思いますが、

幸いにも中学生になっていた私は

自己コントロールができました。

でも、病気は悪いこと?

隠さなければいけないこと?

好きでなったわけじゃないのに?

言ったらどうなる?

言った方が楽になれんじゃないかってよく悩みました。

給食の前には保健室に行って、

血糖を測って、注射する。

わずか数分のことだけれど、

給食前にいつもいなくなる私に、

「何してるの?」「言えないこと?」って…

そうだよね、言わないから気になるよね。

でも病気のことは決して言わない、

これは今でもよほど仲の良い人、

仕事上言わなければ迷惑をかけてしまう

可能性のある人以外には言っていません。

言わなくてもバレないというのか幸か不幸か、

ひたすら自分だけが苦しい、ということもあります。

高校生になったら、学校帰りに友人とファストフード。

憧れてたけど、ご飯の時間以外に食べ物を食べられないので

なんとなく避けたり。ウーロン茶だけ飲んだり。

修学旅行とか団体行動とか、病気のこと隠すの、大変だったな。

就職活動のとき、

病気のことを話したら落とされるんじゃないかって

不安で話せなかったし。

実際に学校を通して紹介してもらった企業には、

学校側が隠してたことになるから言わなきゃいけないと言われ、

集団面接で、私の番に「身体は大丈夫ですか?」とだけ聞かれ

次の子の番になったとき、ショックだったなぁ。

やっぱりそうだよねって落ち込んだけれど、

それ以上の魅力が当時の私にはなかったのだと思うし、

今となればそんな会社こっちからごめんだ!(笑)

そして学生時代からバイトしていた先の店長のすすめで、

長い時間働けるお店を紹介してもらい2年半くらい働いた。

常に健康な人(見た目だけで判断、私みたいに

持病隠してる人もいると思うし)

と同じかそれ以上に働くこと。

とにかく自分の精一杯で。

そうなると病気とか関係ないんですよね。

それはしばらくのちに、他人から認められた時に

気づくのですが…

それから正社員になりたくて販売の仕事に就きました。

販売や接客業は土日の休みが基本取れないから、

その方が平日病院に通いやすくて好都合。

病気のことは誰にも話してなかったっけ。

信用できそうな人がいなかった(笑)

3年働いて色々あってやめて、事務兼接客業。

夜は居酒屋でアルバイト。5年間。

昼間の仕事が身体的に割と楽だったのと、

家にいたくなかったのと、

身体が動いて働けるときに稼いでおきたいとか、

色々理由はあるのですが。

普通に働けるってこと自体が私にはけっこう幸せで。

だって、本当に具合悪かったら働けないですからね。

当時、職場の人に「なんでそんなに頑張れるの?

生き急いでる」って言われました。

でも、黙っていられない性分というか、

黙っている時間がもったないっていうか。

しまいには土日で派遣の仕事もして

ヒーヒー言ってました。

さすがに3ヶ所は続かなかったけど。

そしてこの、夜の居酒屋アルバイトが転機となり、

栄養士になるため31歳で短大へ通う決断をします。

それからも居酒屋アルバイトはずっと続けていました。

自分が作った料理を目当てに来てくれて、

おいしいおいしいって食べてもらえること、

なんて素敵なのだろうと思ったのがきっかけで。

実は1型糖尿病になったとき、

将来は栄養士になろうと思っていました。

でも、親に栄養士では食べていけないからダメと。

(確かに給料は安いけど、何を根拠に?)

親にお金を出してもらう手前いうこと聞いちゃったんだよなぁ。

育てられ方も多いにありますが、

自分に自信がなくて、

自分のことなのに自分だけで決められない子でした。

でも30歳すぎたころには、

病気のことを少しずつオープンにして、

1型糖尿病でも頑張っている人たちと共有したい気持ちや、

病気になった子供たちに「絶望することはないよ!」って

伝えたいという気持ちになってきていました。

自分の経験を話すことで

誰かの役に立てたらいいなと思うように。

栄養士がいる飲食店、いいですよね。

栄養士になって、自分の1型糖尿病としての経験を

活かしたい!こんなに長いこと経験してきたのだから、

1型糖尿病を利用しない手はないと。

(でもまだ病気のことフルオープンにできてませんが)

そして一回り以上も下の子たちと切磋琢磨して

無事卒業!調理師、フードスペシャリストも取得し、

卒業したら自分でお店をやろうと思っていました。

体に優しいごはんやさん!素敵☆

でもまたここで、人生の転機が。結婚です。

病気だから結婚できないと思ってた。

だから、資格を取って一人で食べていけるようにならねば!

と思って頑張っていました。

私と一緒になっても、食べ物のこと、注射のこと、

合併症になったときのこと、医療費のこと、

きっとたくさんたくさん迷惑かけてしまう。

好きな人にはどのタイミングで言ったらいいのだろう?

最初?しばらくしてから?でも、

自分が健康だったらわざわざ病気の人選ぶかなぁ?

とか、相手の親が反対するだろうなぁとか。

ですが、運の良いことに、こんな私と結婚してくれるという

奇特な方に巡り合えました。器の大きな人です(笑)

そして、卒業してすぐ病院に勤務するのですが、

それはまぁひどい環境で。

若かったら我慢して働いてますが、

そんなところにいては自分がダメになると判断。

2ヶ月で辞めました。

そしてカフェで働くことにしました。

このころには、面接時には病気のことをはっきり話して、

それでダメなら縁がなかったということと割り切れるように

なっていました。

自分のやりたいことがはっきりして、

自信が少しついてきたので、

病気のことを理解していただけて、

それでもなお採用いただければ、

後悔させません、一生懸命働きます!ってな思いで。

そして紆余曲折ありなぜか今は夫の会社の事務をやっています。

事務全然好きじゃないはずなんだけど。

やってみると決めたのは自分です、はい。

でも、いつかはカフェとかごはんやさん、やりたいのです。

でも、冠攣縮狭心症という厄介な病気になってしまい、

できるのかなーどうかなーどういうやり方だったら

できるかなーと模索中です。


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