#日々のこと/久しぶりの更新とバラの花。
久しぶりにnoteを開いたGW最終日。久しぶりついでに昔の自分のポストを振り返ると、なんだか私ではない、別の誰かが書いたもののような気がする。ちょっぴりの違和感……。それは昨日の自分と今日の自分が紙1枚分くらい少しずつ、少しずつ変化していって、ある時を境に昔のnoteを書いた自分とのズレがくっきりとするからなんだろうな。その違いを私自身は、なんだか自分ではないみたいで気持ち悪い。昔の自分も今の私も、本当ではあるけれど、昔の私の文章を読んだ人は、どう感じるんだろう? ソレ、イマ ノ ワタシ デ ハ ナイヨ。
GWの帰省から東京に戻ってきて、家の前のバラが咲いていることに気がついた。毎年楽しみにしている大輪の真っ赤なバラが今年も見事に咲いていた。バラは瑞々しくて、まだ花開いてから日が浅いはずだけど、昨日、登山へ外出した私は、その前を素通りしたはずで、バラが咲いていることに気がつかなかった。
私は大事なことを何にも見てないんだな。
バラの変化に気がつかなかったことがショックで、目の前のことをちゃんと見ていない自分が悲しかった。このバラが咲くと、いつも季節がまた一巡したんだなと感じる。植物は、何も言わないし、動いたりもしないし、毎日の変化がゆっくりでその違いを目に留めることはできないけれど、自分の中で自分の役目を少しずつ積み重ねていって、毎年同じ時期に花を咲かせる。その姿が立派で、頼もしく生命力に溢れていて、美しい。バラは何を考えて、何のために花を咲かせているのかな?とか余計なことを考えちゃうけれど、何も考えずただ生きているその潔さがかっこいいから、そういうバラを見習いたい。
帰省中に母から借りて読んでいた樹木希林さんの『一切なりゆき』にもバラと同じたくましさとしなやかを感じて、東京に戻ってから本屋さんで買った。「なりゆき」という言葉は、あまりいいイメージの響きではなかったけれど、この頃はキラキラと輝いて見える。なりゆきに任せることは、ある意味では、なりゆきを信頼しているということでもある。レールに沿った生き方やコントロールする必要はなく、なりゆきで生きることが人生を全うすることなんではないかと。水商売もなりゆき任せな生き方だ。長いGWで、なかなか仕事モードに戻るのは時間がかかりそう…。noteも毎日更新したい。