
SNSが広まるちょっと前、「セキララ日記」が友人達に回し読みされていたことを思い出した、というnote。
最近、noteをデトックスのように書くようになって、頭の中のメモ帳のようにぐちゃぐちゃとこのnoteの下書きに溜まっていっている。何だろうこの感覚・・・と考えて思い出したのだが、そういえば昔はよく日記を書いていた。社会人になって忙しくなったと同時に、mixi、ブログ、Twitter、Facebook・・・って出てきて、いつの間にか日記を書く習慣が無くなってしまったのだが、noteをきっかけに最後に日記をよく書いていた大学時代のことを思い出した。
私は大学進学を機に18年間生まれ育った岡山の実家を離れ、大阪で一人暮らしを始め、バリバリ体育会系のチアリーディング部でチアに明け暮れる日々を過ごした。18才の夏、何名かのチアの同期がルームシェアを始めて、私も練習後にその部屋に入り浸っていたことがある。そこでちょっとしたブームになったのが、私が書いた日記を回し読みすること。
幼少時代から寝る前に日記を書くこと日課としていて、同じようにそこでも日記を書いていた。お気に入りのキャラクターのノートに、チアがもっとうまくなりたい想いや、恋愛のあれやこれや、10代の葛藤みたいなことも赤裸々に書いていたので「あやのセキララ日記」と呼ばれていた (ダサっ)。 チアの友人は家族以上に時間をともにしていたし、家族には話せないような話も全部できるほどの仲だったので、日記を読まれることに特に抵抗がなかったのを覚えている。
「あや、セキララ日記書けたー?」とか「次、私読ませてー」「早くー」とか言って、私が書いた側から友人達は日記を回し読みして、それぞれ「あー、わかるー!」とか「えーっ!マジでー?!」などど反応をしていた。今思うと、同じ場所にいるんだから、直接話せば良いのに、という感じだが、日記に綴るということは、やはり声に出すには少し抵抗のある本音が書きやすかったのだと思うし、友人達もその本音が面白かったんだと思う。
そんな中でも、もっとも友人達に共感された回があった。
あの当時-2001年-は読者モデル全盛時代で、今は廃刊となったJJbisという雑誌に、関西の女子大生読者モデルが流行の服やカバンを取っ替え引っ替えして沢山載っていた。大学には華やかな女子が溢れていて、所属していたチアリーダー部には100人以上の女子がいて、周りの子みーんなが自分より可愛く見えた。
そして、あの時一緒だったチアの子ってなぜかみんな性格がピカイチだった。今思い返しても驚くほど、あんなに女子がいたのにドロドロするどころか、いつも切磋琢磨して励ましあって、くだらないことで笑ってという素晴らしい環境だった。一方で自分を省みたときに、「何で私こんなんなんだろう」って足りないところを必要以上に気にしていたし、高校時代から付き合っていた彼氏と別れてなんか寂しいってときだったので、可愛くなれば全てがうまくいくんじゃないかと思っていた(安易w)。自分の周りの可愛くて頑張り屋で性格も良い子を見て、あーー私もあんなふうになりたいよーって、毎日願いながら床に就いていた。
だからセキララ日記にもセキララに書いてしまった。
「かわいくなりたいよお。見ためも。中身も。」
この一言を書いた日、みんなに見せるのには少し勇気がいった。私からすると十分見ためも中身もかわいい友人に、コンプレックスの塊の心のつぶやきを見せるのは恥ずかしかったし共感もされないと思っていたから。でも、早くーってせがまれて、えいやって渡した。
すると意外にも反応は真逆で「あー、これめっっっっっちゃわかるー!」って口々に言ってくれた。ちょっと驚いたけど、私も「あー、みんなそうなんだなー」って勇気をもらってセキララ日記の存在意義も感じた回となった。
そしてあれから18年経った今、そんなことを思っていたあの時の自分がかわいくてしょうがない。
今の若い子達は、世界中のかわいい子たちが手のひらの中で見えちゃうから大変だろうな、でも本当にみんなかわいいんだよーと言ってあげたい。私に言われても嬉しくないわって感じだろうけど。笑
36才、2019年、まだまだ色々経験中の今はお気に入りのキャラクターノートではなく、MacBookAirでnoteにだけど、なんか色々書いて公開しちゃうのは、まさにあの頃のような感覚。自分だけで留めておけば良いのに、誰かにまた「あー、わかるー」って言ってもらいたいんだろうな。
(おしまい)