2024年 ‐覚悟を決めて、いきる‐
今回は、2024年1月23日に5周年を迎える、母親アップデートコミュニティの「5周年カウントダウンカレンダー」に賛同しての記事です
https://note.com/huc/m/ma8d139abce8f
なんだか”覚悟”とか”いきる”とか大袈裟なタイトルになってしまった。
でも、45年いきてきた今。この辺りできちんと自分の現在地とこれからの人生の旅路を考えるには良い機会かな、と向き合ってみることにしました。
*2023年 いき方を振り返る
子どもに対する姿勢
2023年は、子育てに対する姿勢で自分の中に大きな変化があった年だった。
我が家の子供たち。自己肯定感の低い(低く見えていた)ムスコと周囲のことが見えすぎてしまうムスメ。彼らには、”自分でやりたいことを自分で見つけて、それに向かって一生懸命頑張れるような人生を送ってほしい”と、どの親も望むように感じていたけど、なんだか現実は”どうせオレなんてできないからもういい”、とか”えー、それは〇〇ちゃんがやってるからワタシはいい”とか、やりたいことに消極的な子どもたちを目にしていると、このままでよいのだろうか、と漠然と感じていた。
そんな時に出会った子育てメソッドを学んでいる中で、ワタシの今までの子育てに対する姿勢が子どもたちに響いていないどころか、もしかしたら彼らの本来持っているチカラを抑えつけていたかもしれない、と言うことが分かり、衝撃を受けました。ワタシの心はひき肉のようにミンチになってしまいました。
具体的なメソッドの内容については割愛しますが、子どもたちが本来持っているチカラを伸ばすように親がやるべきことは、”子どもたちが何をしたいと感じて、何を伝えようとしているのか、表れている行動の奥に隠れている気持ちを読み取ること。そして、子どもたちが素直にその気持ちを親と共有できるような信頼関係を築くことがとても大切ということ。その信頼関係の上で、子どもたちが生きていくうえで必要なチカラを発揮できるように最大限サポートすること。
頭ではわかっていたつもりでも、実際ワタシがやっていたのは、子どもたちの本当の気持ちを聞いて寄り添うのではなく、こちらのいいように誘導していたのだ。良い雰囲気の着ぐるみを着て、聞いている風なのだけど、最後には「でもさ、●●だからこっちのが良いよ」とか「それやるとこうなっちゃうから△△した方が良いよ」と。
それでは、子どもたちは自分で決めてやりきるチカラを発揮するどころか、むしろその芽を摘んでしまっていたのだ。そこから「どうせ…」だったり「ワタシはいいや」が生みだされていたのだ。
そこで、まずは徹底的に子どもたちの欲求や気持ちに寄り添ってみた。どんなに小さくても、くだらなくても、(壮大すぎる場合はいつか叶えるようにリストにしておく)彼らの欲求を受け止める。言葉にできないようであれば、こちらが言葉にして引き出す。一見過保護にも見えるようでも、いずれチカラを発揮できるように練習して、自分の欲求を実現していくためのアイテムを授けていくイメージ。
そうこうしていくうちに、彼らから本当の気持ちが聞けるようになってきた。”本当はもっとこうして欲しかった”とか”意見をいわれるのではなく、ただ聞いてほしかった”と。それを一つ一つ受け止めていく。それを繰り返し、ていくことで信頼関係ができてくる。すると話が一方通行ではなく、対話につながっていく。自分の気持ちや欲求を否定されることなく話せる、ということが親子でもとても大切なのだと実感した瞬間だ。
子どもにこうなって欲しい、と誘導するのではなく、子ども自身のチカラを信じて発揮できるようにサポートする応援者という立場で寄り添って、必要な時に惜しみなく手を差し伸べつつ、時期が来たらその手を放していくという関係を築いていくのだ。
(しつこいが、テキストにすると簡単で頭では分かった気がしていたのだが、心からはわかっていなかったのだ。)
自分に対する姿勢
良い雰囲気風の着ぐるみ。これは子育てに対する自分の姿勢で心がミンチになっていたころ、これって自分のいき方に対しても、その着ぐるみで対応して来ちゃったんじゃないかと感じていた。
つまり、どういうことかと言うと、仕事も、母親も、女性としてもワタシは何となく卆なく、良い雰囲気・良い塩梅でこなすことに慣れてしまっていたのではないか、と。
元々、割と器用貧乏なタイプだと思っていて、そこそこはできる(気がしているだけかも)。飄々とクールに生きる、そんなのがカッコいいと思っていて節もあって、「もがく」とか「試行錯誤する」とかとか熱くなるのはかっこ悪いんじゃないかな、って思い込みが拭えていなかった。
いや、でもそれは実は、熱くなるのがかっこ悪いんじゃなくて、熱くなって、「何かを失敗する」とか「空回りする」とか「大変な想いをする」というのが怖かったのかもしれない。
いつも心のどこかで、ワタシって仕事も趣味も中途半端だなぁと感じていた要因はそこかもしれない。
良い雰囲気をまとっていれば、すてきな人生だと思っていたけど、それが着ぐるみだとしたら、中身がないってことなんじゃないか、と愕然としてしまったのだ。
*2024年 いき方を考える
子どもに対する姿勢
特にムスコについて、だ。彼は勉強が本当に苦手。小学校の時もほとんど勉強はしていなかった。中学1年生になった今、問題が起きた。
ある一定の点数に満たない生徒は、部活(バスケットボール)でベンチには入れない。というルールだ。(つまり試合に出してもらえない)
ワタシとしては、このルールには基本的な部分は賛成している。そこにある顧問の意図(必要な知識を身に着けること。誘惑に勝つ自制心を養うこと。スポーツをする上で必要な考える力を身に着けること。)は必須だと思うからだ。
頭の中の半数以上を占めているバスケットボールのためには、勉強しなければ。という気持ちが彼の中にようやく芽生えている。やりたい事のために、やりたくない事にも取り組むということ。当たり前だな、、と突っ込みたくなる気持ちもあるが、そこまでたどり着いたことをまずは褒めたいし、そう思えるバスケットボールに出会えた彼はラッキーだ。
(ベンチに入れなくても、腐らずに毎日朝も放課後の練習も通っているのが何よりの証拠だ)
でも、実際に勉強に取り組むとなると、本当に大波小波の連続だ。目の前の誘惑には負けるし、苦手な問題からは逃げたい。そのたびに、「何で勉強するのだっけ?」、「今やるべきことは何だっけ?」「これを乗り越えたら、どんな未来が待っているのだっけ?」と一緒に問い直して、軌道修正する。
そんな時、一緒に伴走するこちらにも必要なのは、覚悟だ。「ワタシは今ムスコに伴走して、見捨てずにやりきるのである」という、断固たる想いだ。
今の彼に必要なことは何かを考えて、共に試行錯誤する。
たとえうまくいかずに、もう無理だ、投げ出したい、疲れた、と一時的に思っても、覚悟があることでまた戻ってくることができる。
3歩進んで2歩下がる、みたいなことを繰り返し、もがきながら、話しながら、少しずつじりじりと取り組んでいく日々の中からきっと何かがつかめるんじゃないかな、と信じている。
自分に対する姿勢
2023年の振り返りをしている中で、誰かにこう思われたい!見られたい!という欲求も薄れてきたのか、ふんわり良い雰囲気の着ぐるみはもういらないな。と思えたのだ。
振り返りでも書いたように、仕事も、それ以外のことでも、試行錯誤をしなければ、やっぱりどこにもたどり着けない。いや、どこにたどり着かなくても人生は続いていくし、それもまた一つの人生なので、良いと思う。
どこにたどり着きたいのかもまだはっきりしているわけではないのだけど、それでも、せっかく今生きているこの時間を精一杯使いたいと思う。それが今生きていることに対する意味とか感謝につながるのではないか。
世の中に名を残すようなカッコいい人生じゃなくても、試行錯誤を繰り返すことが、いきているって体現することなのかもしれない。
唐突ですが、ワタシはスタジオジブリの映画が好きだ。
どの作品にも共通しているメッセージのひとつが”生きる”だと感じている。
その作品を生み出している宮崎駿さんの生きざまを垣間見るにつけ、もっともがいて生きてみようと思える。心が迷っているときにタイムリーにみたこちらにじわじわと刺激を受けたのでした。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2023132680SA000/
覚悟をもって日々過ごすためには、できるだけ心身共に健康でニュートラルな状態でいることがとても大切だと感じているので、自分自身をととのえる事は積極的に取り組んでいこうと思う。
*2024年は…。感謝と共に
ミンチになった心も、試行錯誤を繰り返して、もがいていたら、美味しいハンバーグになれるかな。
…というわけで、2024年は「ワタシは〇〇をやるのである、という覚悟をもっていきる」というスローガンのもとに日々をすごしていこうと思っています。覚悟があれば、多少の気持ちの波があったとしても、いるべき立ち位置に戻って、やるべきことが見える。それに、その時うまくいかなかったとしても、その覚悟のもとで立ち位置や取り組み方を調整すればよいのだ。
タイムリーにしいたけさんも後押ししてくれているのが本当に心強い。
https://shiitakeuranai.jp/half-yearly-horoscope/2024-h1/
(具体的な行動は、また改めて書き出していこう。)
こうして自分の振り返りと機会を作ってくれた母親アップデートコミュニティ(HUC)には、感謝しかありません。
実は今回、心がミンチになった時にも100人100通りの母の仲間がいてくれる、というその存在にとても救われたのです。
ワタシがHUCに参加して4年がたつ。「誰も否定しない。」というそのルールの基に集う存在は、気づけば心のよりどころになっていたのでした。
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