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10歳以上も年の離れた人とのやりとりから学んだこと
私は40代のライターで、20年以上フリーランスとして働いています。周囲にもライターや編集者、ディレクター、マーケターを生業とするフリーランスや一人法人が多いです。
フリーランスという働き方のためか、仕事仲間と友人の明確な境目がありません。もちろん「なあなあ」にはしないけれど、仕事仲間の人といっしょに旅行したり遊んだりするし、友達に仕事を紹介することもあります。
年代で一括りにするわけではありませんが、同年代の人とはある種の連帯感があるので、誘うのも誘われるのも気楽です。
結婚している人、していない人。子どもがいる人、いない人。子どもがまだ小さい人、もう子育てが終わりに近づいている人。同年代とはいえライフスタイルは違うから配慮は必要ですが、それでも気楽さや安心感があります。
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でも、この1年を振り返ってみると、年代の違う(10歳以上年下の)人たちと会うことや話すことが多かったです。とくに、同業者や近しい業種の30代前半の人たち。接点は、仕事だったり、SNSだったりします。
これは「40代あるある」なのかもしれませんが、(発注・受注関係にあるにせよ、ないにせよ)、10歳以上も年下の人にプライベートなお誘いをしていいのだろうか……と躊躇する気持ちがなかったわけではありません。
自分がその年齢だったころを思い返して、今の私の年齢の人にプライベートで誘われるのって、緊張しなかったかなあ、めんどくさいって思わなかったかなあ、なんて想像してしまっていたんです。
ジャンルレスな料理とセイボリーカクテルをいただける、京都市東山区の「OndoriO(オンドリオ)」
— ayan|ライター (@warashibe) September 26, 2024
町屋を改装した趣のある雰囲気も、名前がなく原材料のみが列挙されたカクテルと料理のペアリングも最高だった…!
(ワインやビールはなくてカクテルのみ🍸)#OndoriO pic.twitter.com/MUqVBa52bw
でも、何度かそうやって若い人たちと会っているうちに、「相手だって大人なんだし、気が進まないなら適切な言い訳をそえて私からの誘いを断っているはず」「誘いに対して相手がイエスと言ったなら、その言葉を言葉どおり受け取ろう」と考えられるようになりました。
よくよく考えたら、「10歳以上の年上の私からの誘いは迷惑だろうなあ」と思うことは、相手を「年齢(だけ)で判断する人」とジャッジしていたわけだから、むしろ私のほうが失礼でした。ごめんなさい。
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今年私が一緒に旅したり、飲んだり、しゃべったりした若い友人たち(仕事関係の人も含むけれど友人たちと呼びたい)は、それぞれに魅力的な人たちです。物事をちゃんと自分の感性で味わおうとするし、表現することを諦めない人たち。一緒に過ごして年齢差を感じるシーンはほぼありません。
年齢なんて関係ない、とは言わないけれど、一対一の関係において、年齢は一つの記号に過ぎないんだなあと感じます。
彼ら彼女らは成熟した大人であり、豊富な語彙を持つ、聡明な人たちです。私の知らないことを知っていて、いろいろなことを教えてくれます。わかりやすさや無難さに流れないところが恰好いいです。彼らの話を聞いていると自分の中に新しい風が吹き込んでくるのを感じます。
世代でどうこう思ったわけではないのですが、40代って自分の限界とか、死に様がなんとなく予想できるようになってくる年代ではないでしょうか。体の衰えもあり、新しいことに挑む気力も持てなくなったり、自分はここに留まる人間だっていうふうに、枠を定めてしまう人が多いように思います。
停滞する40代を揺さぶる「世界がそこだけだと思うなよ」|好書好日より
先日読んだ金原ひとみさんの新刊に関するインタビュー記事に、こんな文章があって、腑に落ちました。そう、40代は「枠を定めてしまう」んです。
なんとなく処世術が身について、小手先でそれなりに対応していけるようになると、「こんな感じになるんだろうな」という予想ができてしまいます。それを安定というのかもしれませんが、私は若い(30代前半の)友人たちの「枠を定めていないところ」や「不安定さ」に心惹かれるのです。
「そんなおもしろいことやろうとしてるんだ」「そんなふうに感じるんだ、いいね、すてき。私にも一枚かませてほしい」「私もその場に行きたい」。予定調和じゃないことが次々起きるから、ワクワクできています。(相手も年の離れた私とのやりとりを新鮮に感じて面白がってくれたらいいな)
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10歳以上年の離れた人とのやりとりから学んだものはたくさんあるけれど、その相手と深く関わり合うようになったら、年齢はあまり関係なくなるのも事実だと思っています。年齢よりも、興味があるのはその人自身。
双方が「この人と会ったりしゃべったりしたい」と望んでいるから、関係が続いているわけで、「付き合わせてる」とか「付き合ってもらってる」とかへんに後ろめたく考えないほうがいんだろうなあ、と。
今ある関係も大事にしたいし、この先もそう思える相手ができたらいいなと思うから、あまり年齢に囚われず、自分の枠を決めつけず、ゆるやかに有機的に心惹かれる相手とつながりを増やしていきたい。圧はよくないけれど、誘うのも自由だし、断るのも自由なのですから。
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(おまけ)
そうそう、10歳以上年の離れた友人であり仕事仲間でもある宿木雪樹さんといっしょにZINEを作りました。自分がZINEをつくるなんて、去年までは想像すらしていませんでした(びっくり)。発売は今月下旬を予定しています。このZINEづくりの経緯については、宿木雪樹さんの以下noteをどうぞ。