
自分ルール。『選択の基準』は3つだけ! 〜即断即決の私になるために〜
矢内綾乃です。
私は、27歳の時に、師匠との出会いと、価値観を広げる様々な読書をきっかけとして、エンジニアという専門世界から飛び出して、経営の世界に踏み出しました。
その時は、右も左もわからないピヨピヨで、不安ながら、絶対成功したい!と思っていました。
今の会社に残るべきか 転職をするべきか
今は動かないでいるべきか 今すぐチャレンジするべきか
自分の主張を押し通すべきか 他者のアドバイスを受け入れるべきか
過去の友人の和を大切にするか 新しいコミニュティを大切にするべきか
友達の結婚式と、自由参加だけど重要なセミナーが被ってしまいどちらを選ぶか
自分にお金を使うべきか 人、あるいは、人との時間にお金を使うべきか
何が正しいのか?
何かにチャレンジしようとすればするほど、毎日、今すぐ決断した方がいいたくさんの選択に向き合うことだらけになるのです。
「何も選択しない」ということもできる場合はありますが、なにも変化せず、時間がただただ流れ去る結果になります。
成功しない人は、何もしないで人生を送り、不運を避けるが、幸運も避ける。byロバートキヨサキ
求めている人生があるなら、即断即決すべし!
ここから書く選択の基準というのは、あくまでも「大成功して、超Happyになりたい!」という大前提があるからです。
目的に一貫性が無ければ、選択に一貫性が生まれませんから。
悩みに悩み、混乱し、考え抜いた結果、悩んで先延ばしにしている時間が一番の失敗の元だと気づきました。
即断即決する自分になりたいと思い、選択の基準をはっきりくっきり決めることにしました。
●第一の選択の基準:人生最後の日から逆算して選択する
人は誰もが歳をとり、おばあちゃん・おじいちゃんになり、必ず人生で最後の日がやってきます。自分がベッドに横たわり、1mmも動けなくなるその日、、、人は死ぬ瞬間に生涯を走馬灯のように見ると言います。本当かどうかはわかりませんが、人生最後の瞬間に、「今日」という日を懐かしく、そして克明に振り返った時に、最高だったな、という自分を選択したいな、と思うのです。
●第二の選択の基準:良き師だったらどうするかを想像して選択する
全く未知の新しいチャレンジは、新しい場において、自分の感情やら自分らしさではBがいいと思うけど、それで成功するのかな?と思うことがあります。そんな時は、「この人」と決めた結果を作っている師匠とそれまでにどれだけ一緒にいたかで、師匠だったらどうするか?を行動基準において選択することができます。
師匠だったら?を想定すると、大抵の場合、前に出て喋らなければならなくなったり、目立ったり、やる事が増えてしまったりしますが、同時に、それこそが成長する瞬間なのだ、と思うのです。
●第三の選択の基準:カッコいいと思える選択をする
人間関係において、自分の正解を他者に突きつけようとしてしまっていたり、保証を求めて感情的になっている場合は、人生最後の日や師匠だったらもへったくれもない場合があります。
それでもグッと踏みとどまる時に、選ぶ行動は、保身ではなく、カッコいい方を選びます。これは、実際にやってみようとする直前は心がオーバーヒートな感じになりますが、やってみると必ず、「あぁ良かった」と思うはずです。
何度か繰り返すうちに、前は嫌でも必ず「あぁ良かった」となる筈だ、という信念が作られ、実際にカッコいい人になって行くのです。
まとめ
負けることを恐れて何もしないでいるものは、すでに負けている、、、
byロバートキヨサキ
たくさんの耳にする成功者の格言は、チャレンジすることを推奨しています。
ですが、いざチャレンジしようとすると、何が正しいのか迷ってしまうのもまた現実です。
この3つの選択の基準を手に入れてから、私の人生は劇的に加速しました。
●第一の選択の基準:人生最後の日から逆算して選択する
●第二の選択の基準:良き師だったらどうするかを想像して選択する
●第三の選択の基準:カッコいいと思える選択をする
☆格言☆
今のあなたの成功確率は、1%だと言われたとしよう。
これまでと今という過去をみて、99%失敗するのだと諦めるか。
それともこれから残り99%をとことん学び、成功確率を限りなく100%に近づけるんだと、自分の成長にコミットメントするのか。
事実は一つ、解釈は無数。
数十年という年月を経た未来の私が、今と同じなんて、私は信じない。
負荷をかけて成長を望まなくなったら、人は人ではなく動物である。
by あやの