【毎日習慣】視覚情報をデザインする
映画『ディオールと私』のラストシーン。仕立てられたオートクチュールのドレスを着用してモデルがランウェイする舞台は洋館だった。
フランス・パリの街並みは、ゴシック様式の建造物が多く残されている。白を基調とした石造りのアパルトメントは外壁だけ見ればひとつながりに見えるくらい揃って連なっている。馬車が走っていた頃に建てられて、景観重視でデザインされた街並みは歩くだけで絵画のようだ。
洋館は歴史的な重厚さと佇まいだが、白い壁はところどころに経年変化がある。
デザイナーのラフは、生花を飾ろうと壁一面を花で飾った。
いっしょに住む母と鑑賞していたが、わたしと母はそれぞれ身体的な欠陥がある。母はすこぶる耳が悪く、わたしは目が悪い。五感は欠陥を補うように他の器官が発達するので、母は視覚情報が優先され、わたしは聴覚情報を頼りに生きている。
母は言った。「わたしもあの壁が気になった。壁紙を貼るのかと思ったら、生花だったのはビックリしたけど」
そんな話を聞きながらタイムリーに西野亮廣さんがブロードウェイのムーラン・ルージュの舞台では天井までデザインすると話していたことを思い出した。
お客様の視界を完璧にデザインする。だから、天井が視界に入るなら天井もデザインしなきゃいけないよね。
なるほど、プロフェッショナルだ。
ひとによって違いがある。
母の視覚情報優先は、わたしからすると理解の域を超えている。話をしていても視界に洗濯物を見つければ畳みだし、ストーリーよりも映っているものが気になるようだ。頭のなかがそれでいっぱいで、ひとの話を聞かないひとだなって不満に思うことはよくある。
そんなわたしも映画の起承転結やアイディアの原作を記憶の中から探しながら映画を観ているから、ひとそれぞれである。
もし、わたしにもっと視力があれば読者が惹き込まれるような情景描写ができるようになるんだろうか。
そんなことを夢みながら、今日も文章を書く。