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【毎日習慣】不健康な幸せ

 今日は、やなせたかしさんのエッセイを読んだ。91歳の頃に書かれたものだ。
 見開き2ページの雑誌への寄稿。

 鉄筋コンクリートですら寿命があるのに、生身の人間の細胞が衰弱し、死滅していくのはしかたないことだ。そりゃ、そうだ。
 元気老人とよばれる人もいるが、自分はそうではなく人並外れて多病であると、何度も大手術を繰り返してきた。無病息災とはいかず、これが天命だと、91歳。病気との向き合い方がまず違う。
 5歳で父と死別、母は再婚。青春時代に戦争をして、弟は戦死した。ずっと多病で、75歳で奥様を亡くしてからは天涯孤独だ。
『手のひらを太陽に』という歌の書き出しは“僕らはみんな生きている 生きているから悲しいんだ”ではじまる。
 不幸を知るから、幸せを知る。

 同じ雑誌に瀬戸内寂聴さんのエッセイも載っていた。幸せも不幸せもずっとは続かない。仏教用語に「無常」という言葉があるけれど、瀬戸内さんは「常ならず」と解釈している。世の中は移り変わる。
 「堪忍」という言葉もある。つらいときはジッとしてもがかず、耐え忍ぶこと。世の中は移り変わる。いつかまた好転する。
 幸せのかたちが見えにくいのかもしれない。昔は衣食住が整っていれば幸せだった。旬の豊作を喜び食卓に並べることが幸せだった。いまはそれだけでは幸せだと感じにくいのかもしれない。身の丈にあった幸せがある。自分の幸せをもう一度よく考えてみるべき、そういうようなことが書いてあった。

 わたしは今朝、おもむろに「ていねいな暮らし」という流行りは2023年は「贅沢な暮らし」になるのではと考えていた。
 タイムラインには豪華なお節料理が並び、新年のご挨拶が並び、疾病が流行っている気配もなく酒を呑み笑っている。正月だ。それでいい。しばし浮世を忘れて、酒盛りをする。贅沢だ。
 若者言葉に「シェアハピ」という言葉がある。ハピネスをシェアする時代なんだそうだ。なんともお気楽である。
 その一方で、2022年は「告発」が相次いだ年でもあった。芸能界を震撼させたガーシー砲や、宗教二世、不倫報道、性被害、貧困ビジネスといって神待ち(家出少女)を保護して不当に稼いだといわれている法人がいまも激しく燃え盛っている。
 幸せをシェアする時代に、ひとを不幸にするネタに一喜一憂している。なんて情緒不安定なんだろう。

 でも、ひとの心の領域は、脅かすと痛い目を見ることも知っている。誹謗中傷や権利侵害は改正プロバイダによって被害者救済がよりしやすくなった。
 既読スルーは進化して、水面下ミュートなんて言葉を知った。相手に通知することなく「フォローは続けたままだけど自分のタイムライン上で非表示にする機能」らしい。だから「お別れはブロ解(ブロック)で」とbio(プロフィール欄)に記載しているひとすらいるくらいだ。
 活動家の迷惑行為も目立った。美術品にスープを投げることや、暴力を肯定化している団体もあった。たしかに自分の主張はあるだろうが、それで誰かに迷惑をかけるのはいかがなもんかなって思う。でも、責任感に突き動かされ聞く耳を持たないひとには焼け石に水だし、矛先を向けられたんじゃたまったもんじゃない。
 だから、水面下ミュートするんだろう。仮初の平和のためにタイムラインを自衛する。

 SNSには幸せも不幸せもきっと同じくらいある。
 名著『青い鳥』のラストを思い出す。青い鳥を探しにでたが、もしかしたら……。

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