赤毛のアン『で』語り合おう①あいよぶ魂✧♡
赤毛のアンシリーズを3巻まで読んだ。
読むきっかけになったのは、アーチストチャイルドクラブ(ACC)で共に活動するまりりんさんの記事。
ACCとは、成長するにつれ、親や教師の言葉で、自分のココロの奥底に閉じ込めてしまったアーチストチャイルドを、お人形に投影して遊ぶことで元気にしていこうという自分の本当の気持ちを思い出すクラブである。
まりりんさんが、幼き日はアンに感情移入していたが、今は、マリラの気持ちがよくわかると書いていたことが印象的だった。
マリラって、あの、ことあるごとに、アンを戒めていた人?
子どもの頃は彼女に全く感情移入できなかった。
この記事は、とてもいい記事なので、赤毛のアンファンは迷わずクリックしてください( ´艸`)
コメント欄で、クラブ員たちが言葉をかわすうちに、赤毛のアンを夏休みの読書課題にしようよ💖という楽しい話になった。学校から出る宿題はごめんだが(←宿題を散々出していた元教師の発言(*´艸`*))自分たちで創り出す宿題もクラブ活動も楽しい。
一番初めに課題図書をクリアしたのは同じACC仲間のⅯ夫人。
2冊目が未読だったので、あらすじをスキ避けして読んだが、今やっと3冊目まで読み終わり、正々堂々と、M夫人の記事を読んだ。
凄い( ゚Д゚)
自分が取りこぼしたことが全部描いている気がしたので、赤毛のアンと、河合隼雄が好きな人は、読んで下さい( ´艸`)
M夫人の凄い感想文の後、自分のてきとうな感想文が恥ずかしいが、気にせず書くw
赤毛のアン。
子どもの頃、世界の文学全集で読んだ。
でも、本当のシリーズは10巻まであって、私の読んだ赤毛のアンは第一巻だけだったのだと気づいた。
勤めていたキタキタ高校の図書館にずら~っと並んであったのだ。
しかし、仕事をしていた時は、仕事にやられてくたびれ果てている毎日。
自由人の今こそ、読書だ!
読書会で、月一度訪れるキタキタ高校の図書室から借りる。
赤毛のアンについて、漠然と覚えていたこと。
アンがギルバートを石板で叩いた。
ギルバートという名前の男の子はかっこいいに決まっているw。
マリラが口うるさく、マシューは無口で優しい。
アンはおしゃべりな夢見る夢子さん。その想像力が彼女の生活を豊かに彩っていく。
ちょうど100分「de」名著でも見て、さらに、興味が高まる。
夏の前に「赤毛のアン」①。
10月に「アンの青春」②と「アンの愛情」③を読んだ。
なんて楽しい気持ちのいい物語なのだろう!
この物語の魅力は、アンという想像力豊かな女の子が、孤児院からマシューとマリラ兄妹にひきとられてかけがえのない家族になり、いろいろ事件を起こしながら成長していくこと。友情、村の人たち、学校、家族のこと、恋、卒業、就職、大学生活。「アンの青春」②では、目が悪いマリラの元で、進学せずに学校の教師をやることになった。
えええ、学校の先生をアンもしていたの( ゚Д゚)
私も20代の勤め始めの時のことを記事に書いたので、アンの理想や指導法、教師としての生活を興味深く、読んだ。
アンはまだ10代で教職についたが、私とは違い、ちゃんと教育の理想があった。
「アンの愛情」③では、もう一度、進学することにしたアンが、アボンリーの村から外へでて大学へ行き、故郷に帰ってくるシーンや、また故郷を離れて町に戻るシーンが何度も何度もでてきた。
あとがきには、アボンリーが舞台になっていないのは、この第三巻だけと書いてある。
愛する者と離れて大学に行くために街に出たり、またそこへ帰ってくる悲しみや喜びを何度も読むうちに、私はアンに入り込んだり、マリラに共感したり、温かい涙を流した。
その1 行きて帰りし物語
これは、誰もが通る、子供が親の元へ『行きて帰りし物語』では?
自分が親元を離れて教師になり、また休日や、長期休みに母に会いに故郷に戻ってきたこと、そんなことが懐かしく思い出された。
とても普遍的な物語なのだ。
カナダと日本の違いはあっても、親元を離れる寂しさ、帰る楽しさは、かけがえがない。アンの気持ちも、マリラの気持ちもわかる年齢になった。
そこだけで、もう、この物語に大共感なのだが、さらに、好きな部分がいくつかある。
その2 モンゴメリーの魅力的な表現
読んでいると、唸るような素敵な表現がある。一つ引用してみよう。
その3 あいよぶ魂
今日の記事のテーマ。私の読んでいた本(掛川恭子訳)では「あいよぶ魂」と訳されていて、この言葉が大好きになった。原作は何という英語なのかと調べてみた。
「腹心の友」では、少し軽く感じるが、この掛川さんの訳が素晴らしい。
「あいよぶ魂」だ。
一見、河合隼雄さんの本から離れた記事に見えるが、ジョブズのスピーチにも赤毛のアンシリーズにも、「魂」という言葉が出てくるのが、不思議である。私の中では河合隼雄『で』語り合おうがずっと続いているのだ。
このnote上で出会っている、互いの記事を読み合う人たちは「あいよぶ魂」ではないかと思っている。
その4 豊かな自然の中での物語
この時代、若い恋人たちの出かける場所は、素敵なカフェでもなく、カラオケでもなく、ゲーム場でもない。
ひたすら自然の野原や、恋人たちの小道と自ら名付けた道や、歴史を感じさせる重々しい言葉が刻まれた墓地や、公園だ。
その描写を読んでいるだけでうっとりする。
ギルバートがアンを誘うリンゴの木の元へ行くときは、もう、ワクワクドキドキした。ギルバートは、春にその木を見て、たぶんリンゴの木だろうなと思ってはいたが、じゃあ、リンゴが秋には成っているのだろうか?と確信を持てぬまま、アンを連れてきたのである。木にはリンゴが成っていて、2人はワイルドなその甘酸っぱいリンゴを齧る。
故郷の津軽の林檎の木は農薬を山ほど浴びていて、とてもそんな気にならないのが残念だ。
カフェとか映画館とか居酒屋で共にデートする現代の若者と、感性がきっと、まったく違うだろう。その小説の、自然の描写に打たれた。
自由人になる前から、朝歩く、新井田川の川べりの美しさに気づいたが、アンたちのいる世界は、子供の頃から年頃になるまで、いつの時も豊かなアボンリーの自然の中にあった。
忙しい時、人は、自然を観ているだろうか?
人工的な物に囲まれていないその時代の豊かさ。
現代人は、自然(地球)から離れすぎているのではないか、と小説を読んで思った。
地球の声にもっと耳を澄まして、自然の中の一部分として、自分のことを考えたり感じたりする必要があるのではないだろうか。
この本を読んでいると、すこし、アンにかぶれる。
毎日の温泉から帰ってくる時の車の中。
「どうして、みんなは銀色のサラブレットが鬣をなびかせて走るみたいにさっさと、道路を走って、おうちに帰ろうと思わないのかしら?
おなかはぺこぺこだし、おうちにはクロオビーの作った美味しい卵焼きが私を待ってるのよ。御みそ汁の具は、今日は何かな?
ああ、はやく海苔に巻いて納豆ご飯が食べたい💖」
と、トロイ車を見て、金毛のあ(やの)んは思う。
まだ、この本はあと7巻ある。
その時々に感じたアンからのメッセージを書きます。
河合隼雄『で』語り合おうに参加しながら、赤毛のアンを金毛のあんが語ろうと、思ってる💖