退職の練習㉗画家のアトリエⅠ~美術教師、絵画教室に通う
大学の卒業制作で絵画を専攻した。
彫刻もデザインもデッサンもそれなりにできるのだが、絵画だけが、なんだか苦手である。色の置き方がいまいちわからないし、学生時代、油絵の具に負けて、手が荒れる。そんな自分を侵食してくる絵具が好きなわけはない。じゃあ、水彩画とか、別なことをしてみればいいのに、油絵のあの堅牢な画面には憧れている。アクリル絵の具もあったと思うが、そういう、広い視点が無い。というわけで、苦手な絵画を、克服しようと選択したが、選択を間違えたかもしれない。今の自分なら、迷わず、得意なものを選ぶようにするだろう。これこそ、津軽のえふりこき(かっこつけ)の精神かな?
ともかく、自分の絵画の克服は間に合わず、卒業制作も微妙な出来で、挫折感でいっぱいのまま、中学校の美術教師になった。
中学校の美術は、部活と言うより、授業で作らせた作品がメインの展覧会があり、どちらかというと、いい授業をしていれば、いい作品を生徒が作るという感じである。
30代の時に、大学時代の恩師に誘われて、高校教師になった時に、高校の美術は、部活動がメインということに気が付いてショックを受けた。
授業じゃないんだ。部活なんだ。
たしかに高校生は忙しい。部活動で毎日、時間をかけて作った大きな作品を持ち寄った展覧会なのだ。これは自分の苦手な油絵ともう一度、取り組み直さなければいけないということではないか。
先生は油絵は苦手なんで、自分で調べてやって、と言っていたこともある。しかし、やはり、自分が出来ないと、生徒を導くこともできないのも確かである。自分が油絵を越えないと、ましてや、生徒を教えられない。
ある時、地区展に、絵画教室を開いている、画家の先生が、審査員としてやってきた。その先生の、生徒の作品に対する優しい口調を聞いているうちに、この先生の絵画教室に行ってみたくなった。
よし、行ってみよう!
50代の美術教師が絵画教室に通い始める。
先生は最初ピアノを弾いていた変わり種で、音楽の道に進みながら、もう一度、ムサビの油絵科に入り直し、画家になった人。
ピアノ、絵画教室という名前がついている。
年ごろは同じか、数歳年上である。
自分のことを、足長おじさんに模して、顔長おじさんと言っているのがおかしい。のんびりとした顔をして、頭はほわほわのパーマ、綺麗な色の服を来て、妖精のような人である笑。
実生活の戦闘能力は自分の方があきらかにありそうだが、ひとたび、絵のことになると、いきなりシャキッとして、沢山ある白の違いとか、行き詰った時のアドバイスとか的確である。しかも、スピリチュアルな会話も、現実的な会話もどっちもできる。先生にカウンセリングを受けながら、気持ちよく絵を描いている。絵描きだけあって、先生の言葉は、深い。
全く、この時間は、現実生活とかけ離れたストレス解消の時間だった。
お月謝を払って(8000円ぐらいだったかな?)、週に一度アトリエに絵を描きに行った。1回3時間ぐらいいる。へたすると4時間ぐらい。
ちょっと、アトリエに行かないと、絵を描かない自分が恥ずかしいけど、この先生のアトリエに来ると、ぱっと、絵を3時間描くモードに入る、それは、きっとここのアトリエで、いつも数人の生徒さんが、熱心に絵を描いているせいだ。もちろん、先生御自身も、同じ部屋で製作している。
先生は、自分の制作室であるアトリエを、そうやって、我々生徒に提供して、生計を立てている。そのアトリエの空気が、生徒に絵を描かせる。
そうか、そういう美術部の経営の仕方があったな、と今更ながら気が付いたりしている。そうすれば一石二鳥だった!(←遅い!!!!)
なぜか、昔は、どの色をどこに置けばいいのかわからなかったのに、今はなんとなくわかる。色の強弱。明暗。アトリエの先生に聞くことなくどんどん自分なりに描いていった。
一枚目の絵は今は亡き愛犬を描いたのだが、愛犬がこちらを真っすぐ見ている素敵な写真があって、いつか描きたいと思っていた。
しかも私は彼の毛の手触りも知っているし、日向くさい額の匂いも嗅いだ時がある。絶対、写真以上のものが出るはずだと思いながら描いた。
先生は、
「犬がふさふさしてきましたね!」
としか言わなかった笑。
「あやのんさん、どんどん犬がふさふさしてきましたね!」
「ここに来なくてもいいんじゃないですか?」
ひとのいい先生は、おカネを稼ぐ気が無いのか、そんなことまで言う。
とにかく、先生に見守られながら、困ったり、つまづいた時だけ、質問して、意外と、思ってたより、自分は自由に絵が描けるようだと気が付いた。
1枚目は、アクリルで。2枚目以降は、苦手だった油絵で。週に1回、描き続けた。そしていつの間にか、油絵への苦手意識が無くなっていった。
驚いたのは私自身だ。
20代の頃の絵画に挫折した気持ち。
それが、50代で克服できるとは、思っても見なかった。
自分は、そうとうそのことに傷ついて、見ないふりをしてきたんだなと今にして思う。
年を取ると言うことは、いろいろな思い込みを取り除いていく作業ができるということでもある。今振り返って思うと、40代で、とかもっと素早くスタートすればよかったのにと思うが、その時はその時で夢中になっていることがあって忙しかった。その経験も、決して、無駄ではなかった。
自分の傷ついた気持ちに向き合っていればもっと早く行動できたのかもしれない。しかし、解決してみると、20代で悩んでいたことが、全く、どうってないことだったのにびっくりしたのである。
そういえば、20代の自分は、ナーバスで、傷つきやすかった。
今の自分は、いろんな経験値を積んで、自分を変えていく強さを持った人間になった。自分をオトナにしてくれたのは、シゴトである。
甘ちゃんだった私は退職まで仕事をするタフさを身に付けたのであった。