なんの旅ですか✧♡②
さて、岩手県美にもバスで行ったが、岩手県美からも町にバスが出ている。でんでんむし号というどこに行っても150円のバス。
美術館の入り口まで来てくれるそのバスに乗って、町に戻る。
県美は郊外にあるのだ。いつも車でばかり来るから、バスになど乗ったことが無いが、パタコの采配でバスに乗り、無事、町に戻ってきた。
町の風景をみながら、ここが材木町かと、見当はつけてみるが、まだまだ土地を知らない。
この日の盛岡はまだ6月の半ばだが、30℃のとても暑い日であった。
そしてバスの窓から町の通りを見ていると、不思議な光景がある。
遠くから見ても、造花ではないことがなんとなくわかる。
この記事を書こうとしたら、私の撮った写真が、岩手県美の写真しか無くて、大慌てでネットからいろいろな写真を拝借した。
どんだけ、龍子だけ、なのよ。私( ´艸`)
まあいい。
「盛岡 街灯 鉢植え」とかやってみてもなかなか、画像にヒットしない。そのうち、「盛岡 ハンギングバスケット」という記事を見つけ、これかも!と思ってクリックしたらこの画像に出会った。
そうそう、これ!
こんな暑い日に吊り下げられているの可哀想かもと思っていたら、この旅の途中で、水やりする人に出会った。市の職員なのかしら?と思って、話を聞くと商店街の方で、一日2回水やりをしていると言う話。
それは通りによっても違うらしい。
盛岡市の作戦だったのだ!と記事を書くために検索して気が付いた。
はい、次の目的地。パン屋「穀」。
バスの窓から観ていたパタコが騒いだ!
「あれ、閉店まで、まだ5分ぐらいあるのに、今店が閉まった!」
バスを降りて、駆け付けてみると、やはり閉まっている。
なんでも午前中だけパンを売り、売れ残った分は、インターネットで販売するのだそうだ。
パタコにとって、最後の朗読会が一番の目的だろうが、その次が、このパン屋だった。
「このパン屋のベーグルで作るアンバターが最高!
そのために、今、あんこ煮ているから、期待してて」
というlineも来ていたような気がする。自分でアンバターを作ろうと思っていない私は、話を半分ぐらいしか、聴いていない( ´艸`)。
店が閉まっていて、がっかりしているパタコだったが、カレーをランチで食べようと言っていた店の「蕾」に入店。
パタコはここのプリンをデザートに設定していたが、私は、光原社の可否館のアイスクリームをデザートに設定していたので、ここでは食べない。
パタコのススメで一口頂いた。
店主は一人で料理も配膳も会計もすべてこなしているので忙しそうではあるが、1人でなんとかなるシステムなのだろう。
喉が渇いていたのか、水のお代わりを3杯ぐらいして、食べながら、話しながら、リラックスしてきた。
席はほぼ埋まっていて、人気店らしく、カレーも美味しかった。
パタコは私とおしゃべりしながら、先ほどのパン屋にネットでパンを注文し、今、近くにいるので取りに行くという約束を取り付けていた。
やるな!パタコ💛
他に誰も客のいない店内で、津軽人の奥様と言葉を交わす。
いつもお客さんが一杯で話をしたことはなかったとパタコ。
無事、パタコが注文したパンをゲットして、でんでんむし号で、材木町へ向かう。
次の目的地は、光原社だ。
ここの近くにある専門学校に仕事で来たことがあり、専門学校は見つけたが、位置関係が朧気だ。思い出せない。
30℃の日だけに日向を避けて歩いていたら、ずいぶん遠回りして材木町に着いた。ミスったなあ。
向かいにあるモーリオから入って工芸品を観る。
そして、いよいよ可否館のある本店の方へ。
冷房の利いた店内で汗を冷ましながら工芸品を観る。
なんというかこの店の佇まいのすべてが好き。
可否館に入る気満々だったが、人々が列を成していて、速攻、諦める。
そんな列があって入れないのは初めてだったが、パタコはいつもだよ、入れたためしがないという。
そうか、たまたま自分がラッキーなだけだった。
専門学校に出張の帰り、可否館に立ち寄り、ここを紹介してくれた恩師のことを思い出しながら、ベン・シャーンのポスターを懐かしく眺めたことが蘇る。
さらに奥に進む。
途中で、小さなギャラリーに、柚木沙弥郎の小さな作品や、宮沢賢治の原稿などが展示されていた。
それに書いている文言を読んでいたら、胸が震えた。
なんて素敵な文章だろう!
透明で、きらきらしている。
読む人に味わってほしくて、勝手に改行したけど
これはつまり宮沢賢治の
だろうか?
苦い珈琲のかかったアイスクリームが食べれないのは残念だったけど、まさかここに、こんな宝石みたいな言葉が転がっているとは思わなかった。
寄り道に宝物がごろごろしている旅。
大学生の時に、恩師がこの光原社も含めた盛岡への研修旅行を計画して、学生を連れてきてくれた。
その時に、先生は我々をどんどん光原社の奥にいざなった。そして、ここが宮沢賢治の注文の多い料理店を出版した出版社があったところなんだと教えてくれた。
そして、ここよりさらに奥に先生は進み、
「ほら、見てごらん、これが北上川だ」
と我々に、川を見せた。
弘前のいつも水がちょろちょろ流れている土淵川とは全く違う、大きなワイルドな川がとうとうと眼の前を流れていた。
先生は、その話を、全員でなく、なんとなくそこにいた私を含めた数人にしてくれたのだ。
なんだかとても、先生にひいきされたような、そんな思い出。
川端龍子、船越桂、宮沢賢治。
そして、村上善男先生。
自分にとってこの旅は、もうここで終わっていいくらいだ( ´艸`)
しかし、パタコが行きたいと言う朗読会は19時からで、まだまだ旅は続くのであった(つづく)