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言葉は、言葉に非ず
いろんな名前で呼ばれているのね。
あなたは、わたしにとって言葉のいらない相手だから名前を気にしたことがなかった。
呼ばれるときあなたはその名の元に在り、呼ぶ者に異なる名を明かしたりはしない。
共に在るって、きっとそういうことなのだろう。
本の中で「言葉は宇宙の隅々まで届くからね」と書かれていてそれはおもしろいことだなあと思ったけれど、たとえば虫に伝えたいなら虫に語る言葉を探すことが「伝える」ということじゃないだろうか。言葉は万能じゃない。
言葉は、言葉に非ず。
言葉になる前の言葉ならざるものに触れて。それはひとつの言葉から溢れてゆく。もっと違う言葉で掬って、遠回り、ステップ踏んで、何度でも言い直せる。書き直せる。言葉と言葉を重ねて、透かして、混ざり合って、点と点は抱き合い、連なり、いびつな楕円になる。わたしたちの臓器みたいに、降る木漏れ日のように、涙のひと粒のように、それは抱きしめられるかたちとなる。何度でも戸惑いながら言葉ならざるものと抱き合うことこそが、言葉というほころびを愛すること。わたしは、そう思いながら、あなたの手を握っている。
信じているもののこと、うまく話せなくてもいい。
生きるために必要なものを、言葉に譲ったりしなくてもいい。
あなたのことを名前で呼ぶ日は訪れないかもしれないけれど、
ただここにひとりきりではないということを、ああ、抱きしめていよう。