人としての質

こんばんは
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます

先ほど ついうっかり 口を滑らせてしまって
「質が下がった」
という言葉を使ってしまったので
反省します

人としての質
親の質
店員の質
指導者の質

そういう意味で使ってしまったのですが
果たして
質ってなに?
と子どもに聞かれて
どう説明したらよいのかと

あれこれ思うところを話してみたのですが
やはり後から考えれば
それはあまり良い言葉ではなかったし
人の質を判断すべきではないな

それは
もちろん
私にとって 私から見て ということですから
そういう意味で一定の判断基準は恐らくあるのですが
つまり主観でモノを言うということでもあるわけですが
そういう価値観というか判断方法を子どもに伝えることについては
例えば
偉い人はいない
といっているのに
他人の質について語ることは
自分が偉そうだな
と思ってしまいました

以前 「民度が低い」という言葉を知り
なるほどそういう言い回しがあるのか
と思ったりもしたのですが
それも同じようなことなのかな
と思います

でも、いろいろなことについて
言葉について
昔からのそういった言い回しやニュアンスについて
あるいは漢字について

解釈が変わってきたりして
漢字が変わったり
言葉を使わなくなったり
それが果たしてどうなのか という思いもあります

言葉の中の文化を消してしまって
均一化していくような
深みの無い時代になってしまうのではないかと
そういう思いもありながら

子どもの前で使う言葉について

もちろん
子どもの前ではなくても

自分の使う言葉について

改めて考えさせられるのでした

これについては
明日、もう一度子どもと一緒に考えてみたいと思います

今日も散文にお付き合いいただき
ありがとうございました

素敵な明日をお迎えください

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