私が生まれた時の星の配置は 太陽蠍のある6hに集中しています。 ずっと自分のネイタルが嫌いでした。 なぜなら6hは「奉仕」の部屋と言われ まるで自己がなく、他者へ自分を捧げよと 言われているような気がしたからです。 そして実際にも誰かのお役に立てることが 私に出来る唯一のことで 自然と仕事もその基準で選んでいました。 社会に留まらずプライベートでもそういった「役割」 を率先して引き受けていました。 それが自分の価値なのだと意識的に紐づくほど そのポジションから逃れらない、
今朝は星のクラスでした。 占星術、占星学、星読み、と呼ばれていますが そのどれとも違っています。 「星鏡」と名付けられたそのクラスは 一人一人が星そのものになり 光を照らし合う存在、神羅万象の営みそのものに 私たちが回帰していくこと。 その聖なるゲートを一人一人がくぐるために開かれる会です。 ガイドブックや講義もなく ましてや鑑定を目指すような場所ではない。 そうしたルートから星々との静かな対話を行っていくと この地上世界に降りてくる時に配置した星の座標は 魂の切なる願いや
使える時間には限りがある 時間は命そのもの 魂という炎が揺らいでいきたい先に 身体や意識をいつだって持っていけるような いつでもスタンバイ状態に身を置くこと。 それが叶わないと私の場合 精神状態がとても悪くなることが分かりました。 平日は朝から夜まで勤めの仕事なので 限られた時間の中でどう過ごすのか 誰と会い、どんな時間を共有したいのか 有り余るほどの情報量の中で何に着目し、何を選び取るのか 研ぎ澄まさなければ聞こえない意識の使い方を 今年は鍛えられているなと感じています。