心友になった彼女のこと①
今日は心友の命日。もう4年… 時が過ぎるのは早い…。
親友ではなく、心友になった彼女。
彼女が亡くなる少し前、私たちの人生は本が書けるくらい波乱万丈だよねって笑って話してたことを思いだした。
本までは書けないけど、今日は彼女のことを書いてみようと思う。
彼女と出会ったのは、わたしがヘルパーステーションの管理者になったばかりの頃・・ もう10年以上前のこと。
彼女は、両親の介護を一人自宅でしていた。
お父さんは寝たきり、お母さんも介護が必要で、私はご両親の介護ヘルパーとして、このご家族と関わることになった。
彼女はいつも一生懸命でとても真面目で、だからこそヘルパーの仕事にもとても厳しかったのをよく覚えている。
どちらかといえば、私の苦手なタイプ。頭が良くて、バリバリのキャリアウーマン!プライドが高くて、 それでいてかなりの美人。
年齢を聞いたらなんと同級生。
ご両親のことがなければ絶対に私とは接点がなかった人であろう(笑)
そんな彼女と私はなぜ心友になったのか?
彼女はいつも本当に一生懸命ご両親の介護をしていた。
私はヘルパーステーションの管理者として、そんな彼女の相談、時に苦情にもよく応じていた。
同級生だけど、彼女とはまず友達にはならないタイプだな・・と、
最初は私とは接点がなさそうなタイプの人と思っていたのが、関わっていくうちに、なんとなくお互い抱えているものが似てるかも…って少しずつ親近感がわいてきてたように思う。
「私・・乳癌がみつかって、これからどうしたらいいでしょう? 」
彼女は自分が癌と宣告されたのに、それでもまだ両親のことを優先しようとしていた。
「とにかく今は自分のことを優先に考えましょう!」
私はそう彼女を説得し、ご両親は施設に入所してもらい、彼女は治療に専念するために入院することになった。
そうなると、もうヘルパーとしての関わりはなくなり、彼女との縁もこれで終わった・・と思っていた。
彼女は年に数回、仕事用の携帯に親の事、自分の近況のことなどをメールで知らせてくれた。
ご両親の最期のときも知らせてくれ、施設までお別れにも行った。
お母様の最期のときには、癌の治療から5年経過してもう大丈夫だと思うと話していた。これからはやっと仕事にも打ち込めるようになったから、春から海外勤務も決まったということも話してくれた。
ご両親を見送り、やっとこれで彼女は自分の人生を生きられるときがきたんだと私も陰ながら、本当によかったと思っていた。
ところが、
春から海外勤務と言っていた彼女から、春も過ぎようとした頃、
電話がなった。
神様は残酷だ。。
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