映画館で私は自分が何者かを忘れる
先日、久しぶりに映画館に映画を観に行ってきた。
そこで改めて、映画館で映画を観るのが好きな理由を思い出した。
自分が何者か忘れることができる
映画を観ると、たいてい作品に入り込んでしまう。
それが映画館だとなおさらだ。
このご時世だと最近は配信サイトで映画を観ることが主流になりつつある。手軽に作品を楽しむことはできることは非常に利点だが、観る環境はどうしても家の中になってしまう。
自分の生活環境だと、映画の「物語」に入り込むことはできても、その「世界」にまで入り込むのは難しい。
やはり、高品質の音響設備と大きなスクリーンがある、ある意味“非日常”な空間で映画を観るということが重要だ。
映画館で映画を観ている間だけは、「自分」という存在を忘れていられる。
「忘れている」というよりも「考えていない」という方が近いかもしれない。
中には自分と重ね合わせて涙するものもあるかもしれないが、だいたいは作品の登場人物に感情移入している。
この「自分という存在を忘れる」時間というのが、私には非常に大事だ。
私はどんな人間か。
どこに住んでいるのか。
何歳なのか。
家族はどんな人たちか。
仕事は何をしているのか。
今日はどんなことがあったのか。
これらのことを、忘れたい時がある。
考えたくもない時がある。
そんな時、映画館に駆け込む。
映画を観ている2時間の間だけは、「自分」という存在から解放される。
エンドロールが流れているときも内容を反芻して、シアターの明かりが点くまでたいてい浸っている。
自分が何者だったかを思い出してくるのは、だいたい立ち上がり、シアター出て廊下を歩いている時だ。
そうだった。私はこういう人間だった。
思い出してはまた失望することもあるけれど、「忘れている時間があった」ということがとても大事だったりする。そんな空白の時間があることで、また自分を見つめなおすことができたり、作品を通して少し考え方が変わっていたりするからだ。
映画館という身近にある非日常空間。
そこで私は自分が何者であるかを忘れながら、今日も日々を生きている。
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